第210話 竜造寺隆信と陶 晴賢といろはの「ゆ」

弓を得て 失うことも 大将の 心一つの 手をば離れず


現代語訳

たとえ武術や戦術にすぐれていても、それを十分に活かしきるか否かは、作戦を指揮統率する者の、心の配り方ひとつにかかっております。


竜造寺隆信は戦国時代、肥前国(佐賀、長崎)の大名でした。

彼はキリスト教宣教師ルイス・フロイスが残した記録によると、戦いに於ける隆信の軍備に対し、「細心の注意と配慮・決断は、カエサルの迅速さと知恵でも企てられないように思えた」と評したと記録にあります。


カエサルといえば古代ローマ時代の天才、こと軍事に関しては速断の人であり、フロイスは隆信をそれ以上と評していました。

つまり彼の戦術はそれほど優れていました。


しかし、彼は「沖田畷の戦い」で敗れ首を島津家久に取られます。

さて、彼の敗因はいったい何だったのか、このような話があります。

まず、大将隆信は敵の兵数が少ないことで驕慢の態度を示したそうです。


さらに戦場の多くは泥田と沼地でしたが、構わず前進するよう指示を出しました。

しかも、敵の奇襲で部隊が混乱すると、命令の伝達が出来ずますます混乱していきます。


そして、竜造寺の大軍は混乱の極みの中、大将を守ることが出来ないほどちりじりになりました。

そして、茂みに隠れていた隆信は敵に打ち取られることになります。


初めに触れましたが、戦う前にはカエサルに例えられるほどの戦術を組みながら、戦場では前線の報告を無視し、逆に兵士たちは大将を見失いました。

もし、きちんと「報連相」が出来るほど竜造寺隆信が兵士や家臣達の心に気を配っていれば、この戦いは勝利したかもしれません。


さて、次は陶 晴賢(すえ はるかた)について紹介します。

彼もまた戦国時代の人で周防国(山口県の一部)の大名大内氏の家臣でした。

当時彼は「西国無双の侍大将」と呼ばれるほどに戦がうまいと噂されていました。


彼はその後謀反を起こし、大内氏の実権を握ります。

そして、2万~3万の大軍を率いて、毛利元就と戦うことになります。

この時、彼の部下が、毛利元就の罠について注意を促しましたが、晴賢はその発言を無視します。


案の定、晴賢は毛利元就の計略により狭い厳島に閉じ込められ、そこを奇襲されて敗北、彼は自害することになりました。(厳島の戦い)


実は戦国時代、比較的近くに存在したこの二人はいくつか類似点がありました。

一つは戦の戦術的な組み立てがうまかったこと。

もう一つは家臣に対して猜疑心が強かったことです。


竜造寺隆信は部下のぬかるみのため動きが鈍るという報告を無視することになりました。

また、戦の前に多くの家臣を処罰しています。


陶 晴賢も家臣の進言に疑いを持ったり、疑念を持った家臣を簡単に処断したりしています。


偶然とはいえ、この二人は戦術や謀略には長けていましたが、その分、統率する大将としての心配りが欠けていたため大事な戦いを失い、人生を終わらせました。


さて、世の中には竜造寺隆信や陶 晴賢のように戦がうまくなくても天下を取った人物がいます。

次の章では心配りで天下を取った例として劉邦という人物を紹介したいと思います。





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