第206話 吉田松陰といろはの「あ」

明(あきら)けき 目も呉竹(くれたけ)の この世より 迷わばいかに 後の闇路は


現代語訳

はっきりと目に見えてわかるこの現在ですら、迷うことが一杯あるのに、まだ何もわからない将来の暗闇のような世界では、なおさら迷うことになるでしょう。

それならばいま生きているこのうちに、少しでも明らかに悟りを開くよう学ぶことです。


現代はインターネット社会となり、多くの情報があります。

しかし、このところの世界情勢を見て迷うのはある意味自然なことかも知れません。

まさに闇鍋のように未来が見えにくい世の中になっています。


テレビや新聞を見ても、彼らの好まない情報はなるべく隠蔽し、読者が知るべき情報を隠し、正確な判断が出来ないようにしています。

結果的に、今から75年以上前の新聞等メディアが国民に真実を隠す過ちを繰り返そうとしているかのようです。


このような時、どうすればよいか、それは正確な判断が出来るくらいまで学ぶことです。

この点で吉田松陰という人はとても参考になるので、紹介したいと思います。


彼の生きた時代、それは安定した江戸幕府の体制が揺らぎ始め、隣の大国であった中国の清王朝が西洋の列強によって植民地化した混沌の時でした。

このような時、時の幕府は情報を庶民に出さない政策を取ります。


また、幕府の多くの人々や諸藩の上層部も太平の時代に慣れきっていて、世界の大変化に対して事なかれ主義を取っていました。


それに対して、極めて早い時期に中国、清の危機を知っていた吉田松陰はどうしたでしょうか。

彼は、まず得体の知れない西洋を知るため九州に行き西洋兵学を学びます。


ついで、当時の先進的な知識を持っていた佐久間象山の元で学びます。

さらには肥後藩(熊本)の兵学者たちとも意見を交換していきます。


そして、西洋文明の要ともいえる蒸気船を知るため、蒸気船を見学したり、あるいは中に乗り込もうと何度も挑戦します。

もちろん、彼は学ぶためにこうした積極的な活動を行いました。


彼が熱心にこうした西洋文明や兵学蒸気船を知ろうとした理由は、孫子の「彼を知り己を知れば百戦危うべからず」の考えだという注釈もあります。

そう考えると西洋文明という敵を知ることで「無知という闇」を払いのけるというのはとても理に適っていたと言えるでしょう。


彼はその後、自分の学んだことを松下村塾というところで仲間達(あえて弟子という表現は避けました)と討論してさらなる理解を得ていきます。

彼の塾は一般的な先生が生徒に教えるという形に囚われることなく、議論を深める形式を好んだとされています。


西洋文明という進んだ敵をかなりの程度理解していた彼は、その理解を沢山の人々に知ってもらい、日本の変革のための同士にしたかったようです。

吉田松陰自身はあまりにも先が見えすぎてしまったためか、天寿を全うすることなく処刑されてしまいます。


しかし、彼の弟子たち(ここではあえてこのように表現します)は松陰の見えていた未来を共有し、日本を西洋列強から守るため、自分の藩を改革し、さらに時代遅れとなった幕府を倒すことになります。


その様は先が見えぬ夜道に迷う童のようなものではなく、困難ではあっても道筋がきちんと見えていた状態で駆け抜ける侍と言えるでしょう。


私達の時代も迷うことが沢山あると思いますが、情報や知識を沢山学び、悟りを開ける位に学んでいきたいですね。


結びに松陰について次の話を紹介したいと思います。

塾生には、常に情報を収集し将来の判断材料にせよと説いた。

これが松陰の「飛耳長目(ひじちょうもく)」である。自身東北から九州まで脚を伸ばし各地の動静を探った。


萩の野山獄に監禁後は、弟子たちに触覚の役割をさせていた。

長州藩に対しても主要藩へ情報探索者を送り込むことを進言し、また江戸や長崎に遊学中の者に「報知賞」を特別に支給せよと主張した。

松陰の時代に対する優れた予見は、「飛耳長目」に負うところが大きい。







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