第207話 黒田清隆と土方歳三といろはの「さ」
酒も水 流れも酒と 成るぞかし ただ情けあれ 君が言の葉
現代語訳
酒を与えても水のように飲む人もおれば、お流れ頂戴程度でもいい気持ちになって、意気込みが盛んになる人もいます。
大事なことは、情けのこもった思いやりの言葉をかけることです。
現代語訳を見ても分かる通り、お酒の飲む量に貴賤はなく、酒の席で大事なのはその場のなごやかな雰囲気であるという、とても穏やかな言葉です。
薩摩隼人は大酒のみで豪快であるという話もあり、否定も出来ませんが、すべての人がそういう訳ではありません。
とにかく、酒の席では情にあふれた気持ちのいい空間にするのが大切ですね。
さて、いきなりですがここで薩摩の黒歴史を紹介します。
明治時代の薩摩の重鎮、黒田清隆です。
まず、最初に紹介しますが彼は酒で見事なまでに悪名を残した人物であり、島津いろは歌のこの章の教えに見事背いた人物です。
彼の経歴は素晴らしいもので、薩摩における大久保利通の後継者、大日本帝国の二代総理大臣を務めました。
しかし、彼はとんでもない酒乱でした。
ある時には酒によって妻を殺したという噂が広がりました。(酔うと依るの二重掛け)
またある時は船に乗っているときに酔っ払い、その勢いで大砲をぶっぱなし住民を殺しています。
またある時には酒の席で暴れたため、木戸孝允(桂 小五郎)に取り押さえられ、毛布にくるまれひもで縛られ、簀巻きの状態で自宅に送られています。
こうした悪行が積み重なったせいでしょうか、彼の晩年は浮いた存在として扱われたそうです。
そして、脳出血のため59歳で亡くなりました。
黒田清隆の弁護をすると、彼は五稜郭で幕府側の代表として戦った榎本武揚の助命を嘆願したり、人間としての度量が大きかったために政敵と話し合いをして合意する能力に長けていたようです。
実は彼の葬式の葬儀委員長はこの榎本武揚が務めましたが、この話には裏があるようです。
彼の生前の悪行のため、薩摩側の人間が敬遠したためとも言われているそうです。
もし、そうだとしたら、明治維新の元勲、大久保の後継、総理大臣経験者の最後がこのような形となり、また歴史の中でこうした記録が残るというのは残念と言うほかありません。
さて、歴史の皮肉でしょうか。
「薩奸死すべし」、島津絶対殺すマンの土方歳三ですが、冒頭で紹介した島津いろは歌にピッタリのエピソードがあります。
彼は五稜郭での最後の戦いの時、部下達に酒をふるまい、一人一人の相談事を聞きながら、士気を上げていったと言います。
その時、土方は自ら酒をつぎ、「酔って軍律をみだしては困るから、一杯だけだ」と笑ったというエピソードがあるとか。
土方なりのジョークだったのか、それとも物資が少ない中、虚しい思いをさせないように気を使ったのか、それとも内心真面目にそう思っていたのか、鬼の副長といわれた人物の魅力的な一面でした。
新政府との戦いで連戦連敗だった旧幕府軍の中にあって、土方の部隊だけは士気が最後まで衰えることなく、善戦をしたと言われています。
これはあくまでフィクションの中の話ですが、もしドリフターズ世界線の中で島津豊久と土方歳三が島津日新斎いろは歌のこの章を肴に酒を酌み交わす光景があるとすればとても素敵なことだと思いました。
話はそれましたが、酒で人生を壊した者、人生の最後に酒で有終の美を飾った者、いろいろと考えさせられる章でした。
皆様はどのような感想を持たれたでしょうか。
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