第205話 現代日本といろはの「て」

日本国憲法には次のような内容の言葉が記されています。

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」


さて、前の章で学んだように、敵という存在を軽視してしまったために、滅亡した民族があることを学びました。


私達の多くは学校の教科書などで、憲法の条文を学び、場合によっては武力を持たないという勉強をしたと思います。


歴史についていえば、戦前の教育や教科書が間違っていたというのが、現代のコンセンサスになっていますが、もしそうなら私達が学んだ教科書にも間違いはある可能性がある、と考えるのは自然かつ道理に合うと思います。


もちろん、基本的には正しいとして学ぶわけですが、過去の経験から教科書に書かれた内容も何度か書き換えられています。

そう考えると特定の場所だけ絶対正しい、疑うことなかれという考え方がいかに危険か想像がつくと思います。


さて、かつて侵略者が使った戦術を思いだしてみましょう。

一つは病気を使った組織の弱体化、一つは人質を取っての無力化、そして賄賂による組織内部の腐敗です。

あえて具体例は出しませんが、日常のニュースで思い当たることがありませんか。


さて、ここで読者の皆様にお尋ねします。

私達の周りの国々で起きていることを見て、公正や信義を無条件かつ無制限に信じることと、かつての歴史を見て今起きていることの類似性に警戒をすること、どちらが現実的、かつ将来を見据えた見方といえるでしょうか。


前の章である無抵抗を推奨するテレビ好みの大学教授の話をしましたが、彼から学べることがいくつかあります。

日本が武力を持たず無抵抗にやられる状態を望む組織や人々が彼を重用していること。


逆に日本が抵抗する意見や行動を彼らが嫌っていること。

場合によっては組織力や財力(賄賂を含む)でそうした意見を排除したいこと。

ここまで推論できれば、現代にもかつての侵略者と同じ思想をもった組織がいることを理解するのは難しいことではありません。


さて、敵がいることは分かりましたが、どうすればよいでしょうか。

侵略者の戦いもそうでしたが、彼らは各個撃破を用いました。

なので、昔語られた鎌倉武士のように正々堂々名乗り出て戦うのは無謀というものです。(鎌倉武士の真の姿については長くなるのでここでは省略します)


ゆえにネットでむやみやたらに威勢のいい言葉を残すのはおすすめできません。

最近は訴訟が流行っています。


負けて、罰金を払ったり、社会生活で不利になる覚悟がある方が勇敢に戦うのであれば止めはしませんが、原則として一般人はダメージが大きいのでやめた方が良いと思います。


なので、面従腹背しておけばよいと思います。

選挙の投票といった効果的でリスクのない方法を行う一方、普段は彼らが安心できるような生活をしておけばいいでしょう。


ネットでの情勢は日々変わっていますので、その変化に対応しつつ、分からない点や不安な点には触れないような用心深さが求められるかもしれません。


敵の見極めが出来ず、滅びた文明がかつてありました。

現代でも侵略者や危険な思想をもったファシストや名前こそ違えど実質的に平和を脅かす独善的な組織は存在します。


私達も無力になってそのような侵略者の思い通りにならないように賢く、慎重に行動する必要があります。

そうすれば、己の弱点を克服し、敵が手荒らなことをする前に手段を封じて争いを回避することが出来るかもしれません。


さて、あまり明るくない硬派な話が続きましたが、次回は前向きな話をしたいと思いますので、どうかよろしくお願いします。







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