第204話 南北アメリカ原住民といろはの「て」
敵となる 人こそは我が 師匠ぞと 思い返して 身をも窘(たしな)め
現代語訳
敵となる憎むべき人も、見方によっては自分の教師となることがあるのです。
だから憎むべき相手を、時には自分自身の反省の材料として見直すことも、心がけておきましょう。
前回はスキピオとハンニバル、司馬懿と諸葛亮のようなお互いが違う陣営に属する敵同士、しかしその能力を認めるという、ある意味とてもさわやかなお話をしました。
しかし、今回は憎むべき敵から学ぶということを別の意味から理解したいと思います。
言い換えるならば、憎しみを持つべき敵について、その手口を学び、己の弱点を克服すること、あるいはどす黒い応用編と言ってもいい内容です。
今までの中でも胸糞が悪くなるお話になりますがご容赦ください。
かつて北アメリカにはインディアンと呼ばれた原住民がいました。
しばらくして、ヨーロッパから侵略者が現れます。
原住民達は侵略者との友好を得たいと考え、贈り物をしました。
それに対して、侵略者達は領土の略奪と原住民を弱らせようと考えていました。
侵略者たちは原住民に対する贈り物として毛布をプレゼントします。
しかし、それはただの毛布ではありません。
天然痘という、今話題のウイルスよりもはるかに危険な物を擦り付けた危険な贈り物でした。
原住民たちはたちまち皆病気になり、侵略者達は侵略行為を行います。
この話は続きがあります。
彼らは北アメリカを制圧したのち、多くの物語を書きますが、それらは皆、侵略者を正義の味方に、原住民を野蛮な劣等民族としてキャストする内容で、最後は侵略者が勝つというものでした。
数百年の間、私達日本人も含めて、こうした話を娯楽の中で幾度も見聞きすることにより彼らの残虐行為は咎められることなくスルーされてきました。
南アメリカでも別の侵略者と原住民が争いました。
500人ほどと言われる侵略者たちは原住民を蹂躙していきました。
ごく少数の彼らが絶対的多数であった原住民をせん滅したのは、とある弱点を突いたからです。
それは大きく二つ、一つは原住民の皇帝を人質にとったこと、もう一つは賄賂で原住民達を同士打ちさせたことです。
皇帝を人質に取られた原住民側は敵に対して無抵抗な状態を余儀なくされます。
この策略は見事にはまり、一説によると原住民の人口の95%をせん滅したとする話もあります。
一つ確実に言えるのは、この行為によって一つの文明が滅び、ほとんどの住民が死か奴隷という地獄の道を迫られたという事実です。
言うまでもありませんが、この南北の原住民達に何か道徳的落ち度があったわけではありません。
ただ、憎むべき敵の戦法を知らなかったため、対策を取ることが出来ず、弱肉強食の世界の犠牲になったという歴史的事実が残っただけです。
さて、話を現代日本に戻します。
あるテレビに好んで呼ばれる大学教授がこのようなことを言っていました。
日本が戦うことなく滅びても、その気高い精神が歴史に残ればそれでいいではないか。
さて、この教授はこの原住民の話を一度でも沢山出ているテレビで語ったことがあるでしょうか。
また、現代でも存在する無抵抗で国家や政府系組織に殺された人々について記録に残る発言をしたでしょうか。
私個人はこの発言に猛烈な怒りを覚えますが、いろは歌にある通り、憎い敵であっても彼らから学び、自分の身を見直す必要があります。
次の章ではその点について冷静に考えていきたいと思います。
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