第190話 孫子といろはの「や」

物事を考えるのに、「文」と「武」、「和」と「怒」といった相対する二つの見方があります。

でもこれは、どちらが正しいというものではなく、時と場合を考えて使い分けるのが大切だと思います。


ですから、両方の資質が必要になると言えます。

勉強で例えるなら、机上の勉強も体育も音楽も美術も大事ということでしょうか。

また、教育で考えるなら、和をもって諭すことも怒り表し悪行をとどめることも両方必要ということかと思います。


中国の古(いにしえ)の兵法書「孫子」は戦争に関する専門書ですが、その思想は「戦わずして勝つ」という一見自己矛盾した内容です。

もう一つ、これは孫子大好きな曹操が好んだ分野ですが、「虚実」というのもあります。


これは、戦に勝つには相手の裏をかくことが肝要であるという意味で、簡単に言えばじゃんけんで勝つことを思い浮かべればいいと思います。

これは言い換えれば、相手が何を出すかを読むことと、グー、チョキ、パーすべてを出せるように準備することを表します。


孫子は兵士を率いる場合のことも書いてあります。

必死で戦う者は殺されます、必ず生きようとするものは捕虜となります。

短気で怒りっぽい者は侮られて敵の罠にはまります。

清廉潔白な者は辱めの罠にはまり、民を愛する者は煩わされます。


これらのアドバイスは人の心から出る弱さ、あるいは弱点として相手(敵)に付け入りやすい攻撃目標となります。

なので、緊張した立場に自分がいるときには決して信用できない相手に見せてはいけない態度と言えるでしょう。


こうして考えると物事の表面の良し悪しだけで判断するのは危険です。

裏表、あるいは物事の両面を考えないと痛い目を見るという訳です。


他にも軍の規律に関することですが、応用が利くというか現代でも当てはまりそうな次のような話も残っています。

軍隊において、褒美を頻繁に与えること、あるいは逆に罰を頻繁に行うことはその軍が行き詰っている印である。


褒美を与えることはある意味気前の良い善行に思えますが、やりすぎるとそれは逆効果です。

罰を与えることは必要な場合もありますがこれもやりすぎはよくありません。


孫子は戦の書ですが、武力一辺倒な本ではありません。

むしろ、表向きは戦闘の話をしていても、その奥深い所では人の内面の強弱を見て作戦を練っています。


島津のいろは歌の「や」、和らぐことと怒ることは翼の両翼のようなもの、先ほど考えた孫子の褒美と罰と表現がよく似ていると思いませんか。

弓と筆、片方は精一杯力をためる、もう片方は力の加減を駆使して美しい字を描く、

時と場合に応じて方法を変える、とても奥深い話だと私は思いました。


兵は詭道なり、と言いますが裏表の多い戦の世界でも学ぶことでより正解に近い決定を見つけたり、行動が出来るようになる。

物事の力の加減というものも理解していく。

そうして先の道が見えるようになればよいと願っています。






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