第191話 武田勝頼といろはの「ま」

万能(まんのう)も 一心とあり 仕うるに 身ばし頼むな 試案堪忍


現代語訳

いかに様々なことに巧みであっても、そこに真心がともなわなければ、何の意味もありません。

自分の能力に頼って自慢することのないように、よく考えて謙虚でいることです。


武田勝頼(たけだかつより)とはかの有名な武田信玄の子です。

彼は武勇に優れ、一時期は父信玄を超える領土を支配していました。

あの上杉謙信が織田信長にその武勇を警戒せよとアドバイスしたという話も伝わっています。


加えて、外交においても上杉、北条、佐竹といった大名と手を結び、織田と徳川の連合軍と対峙しました。


さらに新府城という新たなる拠点を築いて領内の開発を行うなど内政面でも積極的な政策を打ち出します。

しかし、彼は結局織田、徳川連合軍に攻められて一族郎党が自害し、武田家滅亡という最悪の結果をもたらします。


先ほど述べた通り勝頼は武勇、外交、内政という様々な分野で能力を発揮し、けっして無能ではなく有能といっていい人物でした。

さて、その彼がどうして滅びたのか、いくつかのターニングポイントから調べていきましょう。


一つ目は「長篠の戦い」です。

この戦いは勝頼が大敗して、多くの家臣を失ったものでした。

実はこの戦いの前に老臣たちは勝頼に味方の兵は少なく地の利の薄いので戦わない方が良いと言われていました。


でも、彼はその意見を断ります。

理由は恐らく自分の武勇に自信があり、自分の能力を家臣達に見せつけたかったからだと思われます。


二つ目は「味方に対しての援軍の出し方」です。

先ほどふれた外交ですが、勝頼は上杉と同盟を結んだあと不義理を行います。

上杉謙信が死んで、景勝と景虎という二人の後継者が争いを始めました。


初めは景虎に味方し、援軍を出すはずでしたが景勝側から篭絡されるとあっさり手を引きました。

このことで景虎の味方だった北条家の信頼がガタ落ちしました。


また、別の機会には味方の要衝「高天神城」が攻められた援軍を求められたとき、織田家に遠慮して援軍を派遣しませんでした。

こうした味方からみたら信頼を失う決定を勝頼はしてしまいます。


彼の損得勘定の計算では正しい決断だったかもしれませんが、心を持つ彼の味方からすると真心のない信用できない人物と判断されたことでしょう。



3つ目として、先ほど紹介した「新府城」の築城です。

実はこの築城はとてもお金がかかるものであり、そのお金を住民による増税で賄おうとしていました。


勝頼から見れば、この城が完成するメリットはとても大きかったと思われましたが、彼の家臣や住民達はそのようなことよりも目先の重税の方が大問題でした。

彼の奇抜なアイデアも家臣や領民から理解されず、絶望的なまでに人心が離れてゆくことになりました。


実のところ勝頼は能力はあっても農民たちに対する心遣いが決定的に欠けていたようです。

そして最後に滅亡に至るシナリオが始まります。


それは、「織田徳川連合軍」による「甲州征伐」です。

この連合軍による攻勢にたいして、もはや勝頼の為に戦う主だった将は弟の仁科信盛だけで家臣の多くの心はすでに勝頼から離れていました。


こうして武田勝頼は優れた能力がありながら37才で亡くなることになります。

「ま」んのう(万能)と思える能力があっても人に対しての真心がなければこうして滅亡することもあります。


自分の能力に頼るあまり、その力を過信してしまった武田勝頼、もし節目において謙虚であれば、こうした悲劇の運命からは逃れることが出来たかもしれません。

真心と謙虚さの大切さを強く記憶に刻むお話だと感じました。








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