確かに、おごりって。心に止めたい内容でした。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
平家があっという間に滅んだことを考えると考えさせられるものですね。
ちなみに補足ですが、武家の時代ってかなりヒャッハーな時代でして、ある場所では今の感覚で道端を歩いていたら矢の餌食になっていたとか。
それくらい荒れた時代にこのような人徳に注目した助言をしている島津日新斎(忠良)はすごい常識人というか徳のある人だと思います。
ただし、彼も戦国の人なので、現代の価値観でとんでもないこともしていますが、それは他の研究者と関心のある方に執筆はお任せしようと思っています。
平家は反面教師としてはとても優れた素材になった、驕りの心を持たないように気を付けたいですね。
平清盛はどうしても悪役として描かれるんですよねえ。
それこそ、
正義は勝ち、悪は滅びるです。
平清盛が晩年のころには、だいぶん平家も落ちぶれはじめており、源頼朝ひきいる源氏が勢いづきはじめた時期だったのだとおもいます。
清盛の死後、崖から落ちるように衰退していった平家は、壇之浦で滅びますからねえ。
やっぱり、人の陥れるようなことをすれば、羽っ返ってくるものですよね。真面目に地道にやっているのが一番(笑)
作者からの返信
意義深いコメントありがとうございます。
この後の北条氏滅亡と南北朝時代を見ると分かりますが、一度滅びても多少なりとも徳や恩義がある勢力はそれなりに復活します。
平氏が滅亡まで一直線だったのは当時から見てもよほど徳がなく驕り高ぶっていたのではと思います。
かといって源氏も三代で将軍から脱落しているのでこれもまた正義や徳が欠けていた面もあったのかもしれません。
後に、ご恩と奉公という形で世の中は安定しますが、北条は権力は独占しましたが権威は低いままで甘んじています。
権力を持つものは驕ってはいけないというのは北条得宗家が長く続いた点からもよく理解できると思います。
得宗家の執権の多くは真面目で地道でしたし。
いつもお読み下さりありがとうございます。
こんにちは。
一つ前の「ら」もそうですが、「今がよければOKではなく、後世に歴史の審判を受けることを恐れよ」ということかな、と思いました。
併せて平家のお話を伺うと、それはつまり、個人としての審判を恐れるだけでなく、それがお家を潰すほどの重大事であることを恐れよ、ということかなと。島津が現代まで生き残ったのも、その意識あればこそかもしれないなあ、と思いました。
ところで、私の『世界の車窓から…』、こんなものまで目を通していただいて、そのうえ☆までいただき、ありがとうございました! いつもありがとうございます。
作者からの返信
いつもありがとうございまず。
歴史の審判=神と考えると現代人としては理解しやすいかもしれませんね。
おっしゃる通り、島津は比較的勝者としては謙遜なところがあったのでその辺が生き残りの秘訣だったと考えられます。
もちろん、運の要素も大きいですが。
島津に暗君なし、というのは薩摩側の宣伝も多少はあるでしょうが、大きな要素として歴代の藩主と一族、そして家臣たちがいろは歌に従ったことも大きいのではと思います。
考察を含めた意義深いコメント重ねて感謝します。
また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨
作者からの返信
オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様いつもご愛読感謝です。<(_ _)>😊
またのお越しをお待ちしています。✨😄✨✨🌟