なるほど……✨✨
また読ませて戴きます✨🤗✨✨
作者からの返信
オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様夜中の時間にわざわざお読みいただきありがとうございます。<(_ _)>😊
島津日新公いろは歌編はとても中身が濃い内容なのでこうしてお読みいただけると嬉しいです。
これからもよろしくお願いします。😊🌟✨✨
いい言葉ですね
作者からの返信
コメントありがとうございます。
わたしもそう思います。
この島津いろは歌が書かれた目的は自分の孫である島津4兄弟はもちろん、薩摩の領民のためにも教えを知らせるためでした。
そして、薩摩は儒教の影響で年長者を敬う一方、戦においては身分の別なく皆が死兵のように懸命に戦うという独特の体制をもつに至りました。
江戸時代は身分社会でしたがこうした考え方のおかげで幕末に下級武士の西郷や大久保達が活躍する土台となります。
島津家久に関してはその活躍を兄の義弘が嫉妬したとあるくらいですから、よほどその頑張りを周りが評価したようです。
今の日本でもこうした考えが浸透するともっと元気になると思いました。
文武両道は呂蒙や家久にとって周囲に認められる為に必要なステップでしたね(^^)努力が実って活躍出来たのでしょうね😊✨
作者からの返信
@momoyo-oki様熱い中ご愛読いただきありがとうございます。<(_ _)>😄✨
ここでは詳しい説明をしませんでしたが、家久は武は凄いですが、文は苦手だったようでお茶や和歌などはどうも苦手なままだったみたいです。(笑)
とはいえ、部屋詰めの4男棒から一城の主になっているので文の面でも努力をしたのではないかと思います。
正直戦略や戦術はある程度知能がないとダメな分野なので地頭は良かったのかなと個人的には思います。😊