また読ませて戴きます✨🤗✨✨✨
作者からの返信
オズ研究所 《《#横須賀ストーリー紅白様超早朝からご愛読ありがとうございます。<(_ _)>✨✨😊✨
またのご愛読楽しみにお待ちしています。😊✨😄✨
家康に意見をいえるのは、やはり家康の人柄によるものでしょうか。
どんなことでも聞くというスタイル。
その内容がどんなものであろうと、受け止め、次へつなげていく。
太平の世のために
って感じかなあ?
最後は
茶でも飲みながら
これからの行く末を見守り、
余生を過ごす。
というイメージです。
作者からの返信
興味深いコメントありがとうございます。
戦国三傑のうち信長、秀吉は偉くなった後、人の意見を聞かず、臣下も意見をしなくなるようになりますが、家康だけは年下の家臣(将軍になった後は高齢でしたからほとんど年下ですが)の意見を取り入れている印象があります。
人柄も大きいことに加え、彼が意識して意見を取り入れるように努力したのは間違いないようです。
前任の二人が太平の世を築くのに失敗しましたので、その点も研究したかもしれません。
三匹の子豚の家作りの話のような、そんな感じがします。
ユニークな表現とイメージ、ありがとうございます。
単なる落書きとして排除するのか、
落書きからも学びを得ようとする姿勢か
ずいぶん違いますよね(*´∀`*)
作者からの返信
あっちゅまん様大事な点を指摘したコメントありがとうございます。<(_ _)>
😊これあとから気づいて書いておけばよかったと後悔してるのですが、豊臣秀吉は自分や淀殿を批判した落書きを知って、大量に人を殺しています。
それを見知った上でのことだとしたらますます家康の学ぶ姿勢と謙虚な態度が浮き彫りになりますね。
もっとも家康はもともと短気だったと言われているので無制限に寛容だったわけでもないとは思います。😊
ネットでの政治的な論争を見ても、意外と敵対している相手側が本質をついた情報や意見を言っていて、言われた方は批判と思ってスルー、または反撃の応酬というパターンも多いなあと思います。😅😉😊