第159話 趙高と孫晧といろはの「と」

科ありて 人を切るとも 軽くすな 活かす刀も ただ一つなり


現代訳

その人に過ちがあって裁くことがあっても、軽々しく決めてはいけません。一寸の虫にも五分の魂と言います。

人を生かすも殺すも、心のあり方ひとつだからです。


今から2200年ほど昔、中国に秦という統一王朝がありました。

その国には皇帝も丞相(総理大臣みたいなもの)もいましたが、事実上宦官の趙高という人物が法を施行していました。


彼は人民に対して過酷な労役や徴税を科し、従わないものには容赦なく厳罰を与えていきました。

彼にとって人の命は些細なものだったのでしょう。

彼は沢山の人々を裁き、簡単に殺していきました。


その結果、わずか3年ほどで秦は滅び趙高は一族もろとも殺されてしまいます。

そして、彼の悪名は日本の鎌倉時代に作られた平家物語の中でも極悪人として記録されています。


「人を呪わば穴二つ」と言いますが、彼の無慈悲で卑劣な裁きは彼自身に跳ね返ってきました。


さて、趙高から約500年後、三国志の時代の末期に孫晧という人物が現れます。

彼は三国志で呉の国の最後の皇帝となった人物です。

彼は趙高と違って大赦(犯罪を犯したものを許す制度)を何度もその治世中に行っています。


ですが、一方で多くの家臣をわずかな罪で厳罰にしたり、無実の家臣を罪に陥れるように仕組んだりしました。


さて、このようなちぐはぐな法を執行した結果呉の国はどうなったのでしょうか。

疑心暗鬼になった家臣たちは次々に敵の晋国に投降し、兵士たちは戦う前に逃げ出してしまう有様でした。


こうして、呉の国の最後はロクに戦うこともせず降伏するという終わりをつげることになりました。


ここで、最初に紹介したいろは歌の内容を思いだしてみましょう。

それは、ただ寛大であればいい、といったものではなく裁く前に軽々しく決めてはならない、という内容でした。


趙高のように厳罰一本が論外なのはもちろんですが、孫晧のように大赦を連発しても、良くはないのです。

一つ一つの裁判、裁きについて真剣に考慮しなさいというアドバイスです。


私たちも現代において処断(頭にくる)ようなことがあるかもしれません。

ですが、そのような時相手の事情や立場や考えを考慮にいれて慎重に対処することが大事である、そのように考えることも出来るかもしれませんね。


この話の結びに島津義久の逸話を紹介したいと思います。


義久への殉死者で「権之丞(肥後盛秀)」という者がいた。ある日、立ち入り禁止である義久の狩場で雉狩りしてた権之丞は、義久が来たのを見て逃げ出したが、権之丞は追われる最中に笠を落としてしまう。


義久が笠を見てみると持ち主の姓名が書いてあった。しかし義久は微笑して、名前の部分を消した。権之丞はこの行為により命拾いし、この事を恩に感じて殉死した。(なお、島津義弘は殉死禁止令を出しています)



冒頭のいろは歌の現代訳と見比べてみると心にじんとくるものを私は感じます。

皆様はどのように感じられたでしょうか。





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