第160話 管仲と鮑叔といろはの「ち」
知恵脳は 身に付きぬれど 荷にならず 人は重んじ 恥ずるものなり
現代訳
知恵や能力というものは、どんなに多く身につけても重荷になることはない。
そういう人を見て、周囲の人は彼に一目置いて、自分が及ばないことを恥じることでしょう。
いままでお読みいただいた皆様の中には、薩摩の教えが傲慢になることなく謙遜であること重視している、そう感じた方もいらっしゃると思います。
しかし、このいろは歌の「ち」では能力はいくらあっても良いもので、周りから一目置かれると指摘しています。
この点で紀元前7世紀ごろ、中国の管仲と鮑叔の話がしっくりきましたので紹介したいと思います。
管仲と鮑叔はとても長い間友人として付き合い、社会的経歴で見ると鮑叔の方が管仲よりもすぐれていたことが多かったようです。
やがて彼らの住む国「斉」で後継者争いが起きました。
管仲と鮑叔はそれぞれ別の人物の参謀としてこの争いに参加します。
この争いで管仲は鮑叔の主を殺そうとしましたが、その企みは失敗し、捉えられてしまいます。
この時点で勝者は鮑叔であり、管仲は敗者として処刑の危機に瀕していました。
鮑叔の主(のちの斉の桓公)は鮑叔を宰相(総理大臣のようなもの)に任命しようとしますが彼は断ります。
そして、その地位に管仲を推挙します。
なぜ、そのようなことをしたのでしょうか、友情でしょうか、友人に対する情けでしょうか。
鮑叔の桓公に対する言葉はこうです。
もしも斉のみを治めようと欲されるのであれば、私と高傒、(こうけい)の二人でも補佐をすることができます。しかし、もしも天下に覇を唱えようと望まれるのであれば、管仲が必要です」と説きます。
そして「管仲は私よりも、五つの能力に優れています。恩恵をほどこし、民を国家に懐かせる力。国家を治めてその威風を損なわぬ力。忠信をもって民との強い結びつきを得る力。礼儀の制度を整え、国中に適正な法を敷ける力。そして軍の先頭に立ち、兵たちに勇気を与える力。これら全てを管仲は備えています」とも述べました。
どうでしょうか、鮑叔は管仲の知恵や能力を高く評価し、それが自分には及ばないので彼を助命するばかりか、宰相に任命したのです。
知恵や能力がいかに価値のあるものかこの故事からよく理解できると思います。
さて、その後斉と桓公と管仲と鮑叔はどうなったでしょうか。
斉はその後国力を飛躍的に増大させ、「覇者」という称号をえることとなります。
桓公は名君として名を残し、管仲はその業績から後の諸葛亮に「管仲、楽毅のようになる」と言わしめるほどの歴史的知恵と能力を持ったものとして名を残すことになります。
ちなみに鮑叔は管仲を超えることはありませんでしたが、鮑叔の家はその後代々斉の国で重んじられることとなりました。
少し話はそれますが、いろは歌の「に」を覚えているでしょうか。
自分より優秀な友を作るアドバイスでしたね。
鮑叔はそのアドバイス通りにしたため、彼の家は繁栄しました。
能力のある人物は、多少欠点があってもあとあと大成するかもしれないので、粗略に扱わない方がいいかも知れませんね。
皆様はどのような感想を持たれたでしょうか。
次は三国志の曹操と郭嘉についてのエピソードを紹介します。
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