第153話 曹操と石田三成といろはの「ろ」
曹操、三国志の英雄の一人で合理主義的な人として有名です。
日本ではよく織田信長と並んで評価されたりもします。
彼は人生を合理的に考え、それは自分が死んだ後のことにまで言及していることまで徹底しています。
彼は自分の墓は質素であるようにと遺言したそうです。
その理由についてはいろいろと説があるようでいくつか紹介したいと思います。
1、当時は墓荒らしが横行していたため、立派な墓を作っても無駄と考えていた。
2、墓に費やすお金があったら国政に回す方が良いと考えていた。
3、光武帝などの故事に習って葬式やお墓を簡素にするという前例に倣ったため。
いずれにしても曹操は死後に豪華な墓を望みませんでした。
皮肉なことに最近発掘された曹操の墓はとても大きなもので質素なものではなかったようです。
曹操を慕う一族や家臣の思いがそうした大きなお墓を後世に残したということでしょう。
見方を変えれば、いろは歌にある立派な家を作らなくても後世の人々に親しまれたなら、こうした立派な墓と名声が残るということでしょうか。
人を評価するのは家の豪華さ、貧相さではなくその人の生き方である、という良い例と言えるでしょう。
家を粗末にして、天下のために頑張ったという点でもう一人、今度は日本人を紹介しましょう。
それは「石田三成」です。
彼は豊臣秀吉から約20万石を与えられ、さらには代官として豊臣直轄領を差配したとされます。
いわば豊臣の莫大な財布に関わる立場だった彼ですが、彼の家というべき佐和山城では次のような逸話が残っています。
関ケ原の戦いが終わり、石田三成の敵である東軍が佐和山城を占領しました。
その時城の中には金銀がほとんどなく、城の作りも質素なものだったため、驚いた、という逸話が残っています。
彼もまた、質素な家に住み、天下大事の時には自分の仕える豊臣のために家臣や兵器や兵力を集めるために金銀を使っていたといえるでしょう。
彼にも欠点はあり、武運拙く敗れはしましたが、彼の無欲な生きざまは現代まで語り継がれ、彼の長所として多くの人々に知られるようになりました。
人間の価値は家の優越ではなくそこに住む人の心のありかたにある、尊い生きざまにあこがれるとともに、叶うなら賤しくならないように振舞いたいものですね。
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