第140話 歴史破壊の危険性

イエスキリスト、リンカーン、コロンブス、チャーチル、その他多くの歴史的人物の像が撤去、またはその検討がなされています。

これらは法律によらず、一部のデモ隊によって行われています。

私はこのことがとても危険なことだと考えます。


なぜ、そう考えるかを記す前に、私自身は撤去することそのものに反対しているわけではないことを明記します。

例えば、旧約聖書のモーセの記述を見ると偶像崇拝は禁忌とされていますからその視点にたって像を撤去するのは一理あると思います。


また政治家や探検家などはその功績もあるでしょうが、罪の部分もあります。

一方的に善人、あるいは偉業をなしたものとし、手放しに称えるいうのはどうか、という意見ももっともな点がある、そう考えます。

私は政治的手順や法律に則って決めたことであれば像の撤去もありだと思います。


では、「歴史破壊の危険性」とは何か、デモ隊などで撤去を求めている集団は歴史をなかったことにしたり、自分の都合の良い歴史のみを残そうとしていること、ずばり歴史を変えようとしていることが大問題なのです。


言うまでもありませんがデモ隊の人たちは歴史家ではありません。

その知識の多くはインターネットやテレビで自分に心地よい情報のみを取り込み凝り固まっています。


歴史とはいろんな解釈があり新しい証拠や理論によって変化し。より正確になっていくもの、私はそう考えています。

もし、デモ隊の要求に屈した場合、今まで費やしてきた歴史の事実、それとそこに至るまでの道筋をなくしてしまいます。


しかも特定の思想(イデオロギー)によって歴史の事実がゆがめられてしまう可能性も大きくあります。

一例をあげましょう、かつて中国で文化大革命という大動乱が起き、数千万の人生と多くの歴史的価値のあるあらゆるもの(書籍、像、建物、思想、その他)が破壊されました。


それは毛沢東という人物を神格化し、その考えに背くものはすべて否定するという思考の浅い考えでした。

しかし、多くの人々がその考えに同意したために、一時期この考えが「歴史的真実」となりました。


その後の集団的ヒステリーによって多くの人が死に、中国の進歩は止まり彼らの昔から伝わった多くの歴史的な資料や文化が失われていきました。

私はアメリカ、イギリスをはじめ。多くの国で起きている一連の騒動に同じにおいを感じざるを得ません。


そしてそれは日本にとってもとても危険な兆候だと思います。

次の章ではもし仮に日本で同じような騒動が起きた場合を想定し、具体的に危険性についてシミュレートしたいと思います。




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