第139話 無秩序の向かう先は・・・
世界最大の大国にして民主主義の砦であるアメリカ合衆国。
ご存じの方も多いでしょうが、警官による黒人殺害に端を発したデモ活動が全土に広がり、その中でもシアトルではデモ隊が市役所を占拠する事態になりました。
なぜ、そのようなことが許されたのか、最大の要因は警察機構がこの事件のために無力化されたからです。
警官もまた、サーバントではあるのですが、あまりにアメリカの世論、あるいは世間が警察に不信感を抱いたため、彼ら彼女らも動くに動けなくなりました。
その結果強盗略奪などが多発し、治安は大いに悪化しました。
それだけなら一部の運に悪い人だけが被害にあっていると強弁する人もいるかもしれませんが、他にも影響がありました。
それは水道です。
皆様のお住いの地域の水道の管理はどこが行っているでしょうか。
ちなみに私の住む都城は市の管轄で書類に都城市長の名前が印刷された書類がおくられてきました。
そしてシアトルでは水道に影響が出た結果、トイレが使えないという状況になり、ある意味地獄絵図のような展開になりました。
そのようにして、市民が不便をこうむっていた時、市役所を占領したデモ隊のある者たちは帰宅し、あるものはみかじめ料と称してお金を無心し、あるものは市の土地などに野菜や作物を植えるといった行動にでました。
こうして数日たち、デモ隊のほとんどは解散となり残るは破壊とガラクタと空虚な空気といったやりきれないものばかりでした。
一時期、一部のインテリ層の間で行政に対しヒステリックなまでに批判をする風潮がありましたが、こうした出来事を見て彼らはどのような感想を持つのでしょうか。
確かに行政や政府の中に不正や不公正が明かるみになったとき人は怒りを覚えます。
わたしもその感情は自然で当然のことと思います。
しかしそのことと行政の仕組みすべてを全否定する革命的、無政府(アナーキスト)的な考え、行動が正当化されるかどうかは分けて考えるべきことだと思います。
別の視点でいえば、今の行政のしくみを壊してまで、過激なデモを行うのが私たちの生活のためになるのかどうか、自問してみたいと思います。
この世界的なデモ活動には、私がこの小説で何度か問いかけている歴史と文化についても挑戦的な態度で行動しています。
次の章ではその点について、歴史上の人物の像をデモを行う一部の人々がどのように扱っているか、その理由を考えながら進めていきたいと思います。
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