第135話 最近のネットを見て感じること

最近ネットを見ているとよく目につく光景があります。

それは、マウントとり、あるいはマウント合戦です。

私の解釈では自分や自分と同じ主張を絶対正義と考えて決して考え方を変えず、自分と異なる意見を大きな声や権威といった主張の成否とは関係ない方法で論破する風景です。


簡単に言えば屁理屈と言えばわかり易いでしょうか。

目的が自己正当化なので、いくら話しても考えを変えません。

変えると負けなのです。

こうした風潮をほっておくと過去の歴史などもその人や集団の都合の良いところしかなかったことにされます。


皆様もニュースでご存じかもしれませんが、今欧米でコロンブスやチャーチルなど過去の有名人の銅像が次々に倒されています。

私はコロンブスが聖人とは思いませんし、チャーチルの政治活動についても賛否両論があっていいと思いますが、ただの勢いで銅像を壊すのは考え物だと思います。


こういうことは例えば議会などにかけてキチンと手順を踏んで行うとか、あるいは両論併記するとか面倒でもやることがあると考えます。

一部の人の感情論だけで物事がどんどん破壊されていくのは危険な兆候だと危惧します。


私は島津義弘大河ドラマ誘致をいろんな皆様に伝えていますが、島津の正義や目的が他の勢力にとっては違うものであることは当然だと思っています。

三国志のファンがそれぞれ魏、呉、蜀、その他の武将に思い入れがあるのと同じです。


それに島津自身も戦国時代に所属する陣営を変えることがありました。

というか、敵味方が入れ替わるのは戦国時代の常であり、そうした外交の駆け引きも大河ドラマの面白さと将来のためになる知識だと思います。


日本では今の時点でそれほどの暴動は起きていませんが、一部の人間が今の感情だけが正義で、長年の歴史を経て積み重ねてきた制度や歴史、文化をこわすというのはとても怖いことだと思います。


最近、大河ドラマで独眼竜政宗が再放送しましたが、その感想の中で昔の大河は殺伐とした面もあったが今はマイルドになってしまっている、という意見をみました。

「ドラマ」ですから史実と異なるのはある程度ありなのですが、ファンタジーのところを歴史と勝手にとらえてお説教をする人々も存在します。


歴史とファンタジーは分けて考えないと大変です。

それは例えるなら、間違った地図を与えられて旅行に行くようなものだと思います。

事実、外国で起きている暴動は着地点がありません。

その結果、多くの血が流れ関係のない無辜の人々の生活を脅かしています。


メディアなどがいい例ですが、日頃平和、平和と表現を制限してまで争いを避けているのに、報道ではさも暴動がない、あるいは平和的あるというメッセージを発しています。

そうして、暴動に参加する人々に太鼓判をおしているのです。


ネットを通して情報が早く、そして短絡的になってしまいその結果として暴動が発生しています。

私は歴史や文化を大切にする、あるいは守るという姿勢で今の殺伐とした世の中と一線を置くことができればと思います。


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