第122話 敵から学ぶ、平和を学ぶ

読者の皆様にはもしかしたら違和感を覚える題名に思えるかもしれません。

ですが、島津家の歴史を調べ、また私個人の経験からこの題名はとても不思議でしかもしっくりくるのです。


今、世界はいたるところで二極化していて、右と左、アメリカと中国、保守とリベラル、ネットとメディア、とにかくどちらかの陣営に組み込まれて互いを非難する場面が多くなりました。


現代政治のはなしは荒れる原因なのでここでは控えますが(ビビリなので(笑))ここでは敵味方を作りたがる現代の構図を前提に少しでも平和に向かうにはどうしたらよいか、という視点を島津家の歴史から紐解いていきたいと思います。


まず、戦国時代というのは敵になったり、味方になったり、勝ったり、負けたり、と立ち位置が安定していないものなのです。

島津家も九州勢との戦いでは多く勝利を収めていますが、全勝という訳ではありません。


おまけに相手が豊臣、徳川となると負けてしまっています。

そうなると負けた状態で敵と交渉しなければなりません。

このような時、潔く降伏する場合は敵であっても礼儀を尽くす必要があります。

言い換えれば戦った後でもあとくされがないようにするといいわけです。


戦いに勝った方からすれば(この場合豊臣や徳川)勝ったあとなるべく面倒くさくないようにしたいわけです。

つまりけんかが終わったら仲良くできればいい、そういう形に島津と交渉をするわけです。


題名にあると通り「敵から学ぶ」とは敵の立場に立って交渉するということです。


ここまでは島津が負けた時の話をしましたが、今度は勝った場合について考えます。

一例として島津と立花家について考えます。


戦国時代、島津と立花はいつも争い、立花宗茂から見れば島津は親の仇でした。

しかし、時節が変わりお互いの家を守るために秀吉死去後は「呉越同舟」のような形で味方同士の関係になりました。


そしてその期間の間、両家の間で信頼関係が出来ていき強固な同盟関係のようになっていきました。


さて、親の仇のような両家がどうしてこのような関係に変化したのか、私は両家がともに自分の家を守るため強くあろうとしたこと、そして味方にすれば信頼できる力と精神を互いが認識したのが大きいと考えています。


こうして考えてみると現代において、家の中が二極化して分裂していたり、味方にしても頼りないといった状態になると、それが家であれ、あるいは国であれ頼りなくなり、周りから見れば味方になりたいと思うより、分裂を誘って弱体化させあわよくば取り込もうという誘惑を引き起こすでしょう。


今、現在中国の香港で、またアメリカの一部の州でそうした動きが活発化しています。


日本という国が敵を作らない、あるいは敵と交渉しなければならないとき私たちは島津のように強くしたたかで信頼できると周りの国々から見られるようにする、これが平和を学ぶことになるのではと私は考察します。

皆様はどう思われますか?

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