第121話 鹿児島は日本の端っこなのか?

もし、読者の皆様の中に「信長の野望」をご存じの方がいれば、鹿児島(薩摩)は日本地図の端っこにあると認識されているでしょう。

その一方で戦国時代の薩摩島津のことをご存じの方であれば別の見解があるかもしれません。


日本で最初に鉄砲が伝来したのは種子島である、そのような話を聞いた方も多いと思います。

もしそうだとした場合、鹿児島は端っこではなく西洋文明を受けいれた最先端の場所といえるでしょう。


また、沖縄(琉球)と同様当時の中国を支配していた明帝国と貿易が盛んであったという点で、中継地とも言えるでしょう。

余談ですが、作者の父方の先祖をさかのぼると当時の薩摩で海賊兼商人をやっていたと父からよく聞かされました。


以前も触れましたが、島津は保守的で伝統的な歴史を持っていました。

宮崎、鹿児島に来てから約千年鹿児島と宮崎の多くの地域を支配していました。

朝廷や幕府からも官職を与えられており、その点では極めて保守的です。


かと思えば、先ほど述べた南蛮交易や明、東南アジアとも活発に交易をおこなっていた点を考えると開明的でもあります。


極端な例ですが、関ケ原で島津が西軍につき、徳川に負け窮地に陥ったとき明帝国と組んで徳川幕府に対抗するという噂があったとか、それにあわせて海賊活動を盛んにして幕府を脅すといった物騒なこともしています。


今の時代の日本で見ると福岡が当時の薩摩に近いのかなあとは思います。

長々と薩摩の歴史を見てきましたが、現在においてもこうした出来事はとても大事なことなのではと筆者は思います。


グローバル化がコロナによって打ち砕かれたとき、残る道は経済的ブロック化、その後に規模はどうであれ騒乱や戦争が起きるでしょう。


開国か鎖国か、保守かグローバルかといった二択ではなくその時その時に応じた他の国との対処やそのための国内の備えというのが大事ではないかと思います。

保守の考え方の人々はその考え方に固執するのではなく、保守を守る具体的で効果のある方法を見出す必要があります。


同様にグローバリストもどこまで開くのがより国益にかなうのか、程度を見て判断する必要があります。

こうした英知を集めた時保守派もグローバリストもそんなに隔たりにある答案は出さないのではないかと思います。


もし、日本以外の方でここをご覧の方も、もしかしたら日本を弱らせるよりある程度日本をしっかりとさせた方が自分の国の平和のために良い方法かもしれません。


敵味方という二元論よりも争いを抑えるための蓋として隣国を活用する、そうすることで大きな争いを避けることが出来るのではないか、作者はそのような方法もあると考えています。


という訳で日本の端っこでもあり、グローバルでもある鹿児島と島津をどうかよろしくお願いします。(とってつけたようですいません(笑))


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