第105話 「戦争反対」
今年2020年は戦争の予感をひしひしと感じるスタートになりました。
ほとんどの日本人が戦争を望んでいません。
それでも、国家間の争いがある限り戦争は起き、そして争いの火種は世界中どこにでも、そう日本のまわりや日本国内にばらまかれています。
そもそも戦争とは何でしょうか。
国家と国家の争いが戦争と定義するのであれば、国が破れ降伏した後は戦争は終わりでしょうか。
あるいは、国内で反乱が起き、多数の日本人が虐殺されてもそれは戦争ではないので良いことなのでしょうか。
断じて「否」です。
言葉の上では戦争ではなくとも、それは戦争と同じかそれ以上に醜悪でおぞましいことです。
「戦争反対」素晴らしい言葉です。
ですが、戦争が起こる前にも虐殺はあり、戦争が終わっても暴力が支配する世の中は存在します。
私は将来「愛国心は悪党の最後のよりどころ」という言葉と同じように「戦争反対」も後に起きるより醜悪な虐殺や暴力を呼び込むための免罪符になりはしないかと危惧します。
世の中に【絶対】はないというのが、筆者の人間の行動における信念に近い考え方ですが、「悪への道は善意によって舗装されている」という言葉にある通り安易できれいな言葉は時に罠になると危惧しています。
もちろん私も「戦争反対」ではありますが、それを実現させる方法として非武装や最初から降伏するというのは、手段として最後の方法だと思います。
もし、「戦争反対」論者で非武装を最善と考えるのであれば、まずご自身とご家族でその方法を外国に出向いてやってみるといいと思います。
もしそれで、相手が戦意を喪失するのであればとても素晴らしいですし、その勇気は賞賛に値します。
ですが、自分は安全な場所で平和を唱え、侵略者の手先としてそのような扇動を行うのは歴史上、いくらでも実例がありました。
敵に対して戦意を喪失させ、油断した隙に相手の首を取る方法は古今東西行われてきたことです。
戦争をしないため、あるいはおきた戦争を最小限の犠牲でおさめるためのよりよい手段とはどのようなものでしょうか。
戦国時代から江戸時代に向けて天下泰平がなった一つの実例として、命がけで国を守ったという島津の選択、いまこそ日本人に必要な歴史ではないかと筆者は考えます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます