第8話 都城と宮之城

祭り之介は動いていました。

まず、宮之城の近くで島津義弘にゆかりがあるとされる都城市を調べることにします。

人口16万人、宮崎では第2の都市であり渋谷と横浜に比べるのが酷であって決して田舎ではありません。

とはいえ、畜産の1大生産地であり周りの山々は緑に覆われており都会かといわれるとその人口の割には田舎に近く感じます。


祭り之介が望んでいたのはこの地に隣接する人口4万足らずの宮之城市で大河ドラマのあるいは都城市を慕って訪れる観光客で町が活性化することでした。

かつて大河ドラマ篤姫で鹿児島が脚光を浴びたとき、都城市もその恩恵を十分にあずかったことを学びました。


それならもし都城市がクローズアップされたら観光客はきっと流れてくるはずだ。

彼はできることの一つとして市役所の観光課の友人の杉田に相談してみました。

彼は祭り之介の話を熱心に聞き、協力することはできるだけ協力すると約束してくれた。そこまでは良かったのだが、ただ、と切り出してきました。


周りを動かすには材料がなさすぎるなあ、と杉田はぼやいて見せます。

祭り之介の熱意が周りに伝わるには何かが足りないのはあきらかでした。

それでも祭り之介の顔は穏やかでした。


「できないことを嘆くよりできることをやろう」焦らず希望をもってやっていこう。

次の日、祭り之介は都城島津邸の都城島津伝承館に向かった。11月24日まで島津義弘と都城という特別展が開かれていた。国宝級の書状や鎧兜、島津家の系図や屏風、変わったところでは400年前のトラの頭蓋骨など名品が並んでいました。


祭り之介が目を引いた事例は以前フウイがつぶやいた島津忠平(義弘)と都城の城主本郷氏との養子縁組の件でした。

そしてもう一つ義弘から家系を下ると上から下に1本道で都城の現当主につながっているように見えました。


島津家と都城島津家は遠い親戚かなにかと思っていた祭り之介にとってこのことは驚きと新たな希望の芽に見えたのでした。

それと都城の石高も目に付けます。

4万石というのは決して小さい数字ではない。


江戸時代藩の数が250前後あったそうだが4万石というのは中の上で島津の家臣(陪臣)としてみるとかなりの規模であると言えました。これはセールスポイントではないか、祭り之介はうらやましく思いました。

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