第7話 番外編フウイのいろは歌と孫子の類似検証

島津日新公いろは歌、島津義弘の祖父で名君とされた人物が行うための学問として書いたとされます。

なぜ、いろは歌のような語呂を付けた文章を書いたのでしょうか。

フウイは自説を持っていました。


思うに現在のラップやポップのように教科書のかしこまった文章ではなく軽いノリで何度も歌わせ、すんなり頭に入るように工夫したのではないか。

もしそうなら説教臭いやり方はいろは歌の趣旨に反するのではないか、そのように思いました。


もちろん現在では歴史的遺産、偉人の教えとしての側面があり粗略に扱うのはだめだろうことも。

フウイがもっとも孫子との類似点を感じたのは「る」の歌です。


そこには自分が知っていることでも知らない風にして聞くのがいいよという実に不思議なアドバイスがあります。無知をさらけ出すのが目的かというとそうでもなく年長者から教えを乞う時のアドバイスだそうです。


「彼を知り己を知れば100戦して危うべからず」のアドバイスから見ても自分の能力を高めるために有効な方法と感じました。

他にも「に」「よ」「そ」「て」にも自分以外の友や敵から学ぶことが奨励されています。


また、孫子では戦う前に自分と相手の力を分析して戦うべきか退くべきかを説いているが、いろは歌ではまず日常から鍛錬に励むことで地力を強くし、必ず勝つという信念を養い、そのうえで相手の能力を計り、良い点は学び悪い点は避けるという考えが強調されていました。


日新公の孫の島津義久などは昔の有名な歴史的悪人を書いた絵を飾り、自分がそうならないようにと気を付けていたそうです。


島津の歴史的戦があまりににも壮絶なため、少しイメージと違う点と感じるが島津の教育は孫子と同じく勝てる戦いをするために日々努力するというごく常識的な基礎から成り立っていました。


孫子の脚注本といろは歌の解説本を交互に見ながら、フウイは嘆息します。

南九州でこの本の価値を認識しているものはどれだけいるだろうか。


もしかしたら日新公はこの教えをガラスの中の宝物とするより、擦り切れようが身近に地元のひとびとが感じることを望むのではないか。


やはり登場人物のキャラ付けが大事だな。そして、それをするアイデアを出す点で今の自分の能力の限界を感じるフウイでした。

(参考文献 島津日新公の教え 清水榮一 男子戦わずして勝つべし)

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