case7. 会えない理由(10)
早苗さんが化粧室から戻ると、私は話を再開した。
「ここまで伺ったところで、私の感じたことを話していいですか?」
「はい、もちろん。お願いします」と、早苗さんはおしぼりをテーブルに置いた。
「まず、野球拳のことですけど、客観的に見て、おそらく美雪さんにはヘンな気持ちはなかったと思うんです。最初は、本当にただのおふざけで、そのあと早苗さんの体を見て、純粋に『健康な年上のお姉ちゃん』に憧れのようなものを感じたんじゃないかなと。触ったのも、そういう眩しいものに惹き付けられての自然な行為だったと思うんですよね」
早苗さんはちょっと解せないというふうに、眉をしかめながら首を傾げた。私はかまわず続ける。
「美雪ちゃんは、入退院を繰り返すような生活でさびしくて、友だちとか兄弟姉妹への憧れや、健康への憧れもあった。その全部の象徴的存在が早苗さんで、もしかすると一番身近に『大人』をイメージできる存在で、本当に心から慕ってたんじゃないですかね」
「それはそうかもしれないですけど、でも……」
「あ、早苗さんの気持ちもわかるんです。その……すべてにおいて戸惑っていたというのが、すごく伝わりました。結果として、お二人の感情は、残念ながら噛み合わなかった。ただ、それだけなんですよね、きっと」
早苗さんはうつむいて、小さく鼻を鳴らした。
「で? 私は、やっぱりこの期に及んでも、また彼女に会わないとダメなんですか?」
「うーん。私からどうこう言えませんけど、逆に、それって断れないんですか?」
その時だった。
早苗さんはパッと顔を上げたかと思うと、息をつめ目を見開いた。そして、急に相好を崩してから息を吐き出した。
「そうですよね! 断ればいいんですよね!!」
それだけ叫ぶように言うと、早苗さんはあたりを気にかけない勢いで笑い出した。
私はポカンとしてから、やがて、そんな早苗さんの様子につられてこみ上げる笑いを必死で抑えていた。
ひとしきり笑うと、おしぼりで目の辺りを拭って早苗さんが言う。
「あ〜ぁ、バカみたいですよね。そうですよ、断ればいいんですよね。どうして気づかなかったんだろう」
まだ笑い足りないというように、途切れ途切れに肩を震わせている。
私は、早苗さんが落ち着くのを待ちながら、もう飽きてしまったコーヒーをちびちびと啜っていた。
「いつまで振り回されたら気が済むんだろうって話ですよね。断ってもいいんだって、全然思いませんでした、私」
「あの……なんかわかりませんけど、『緊急で困っている』っておっしゃってたことがそれなんだったら、解決したみたいでよかったです」と、私はすっかり拍子抜けして言った。
そんな私に気づいてか、早苗さんはこちらに向き直って「ごめんなさい、一人で興奮してしまって。あまりに簡単なことだったので、驚いちゃって」と恐縮している。
「いいんですよ。だいたい皆さん、そんな感じです。こうやって話すと、何かが吹っ切れたように気持ちが明るくなるみたいで」と私は答えた。
火照りを冷やすように頬におしぼりを当てて、早苗さんはにこやかに言った。
「いや、本当にそうですね。今日、ここに来てよかったわ〜」
「なら、よかったです、私も」と答えると、早苗さんは急に真剣な表情になった。
「でも、それだと話が中途半端で終わっちゃいません? 私の人生相談じゃなくて取材なんだから、続きをちゃんと話さないといけませんよね」
「そうしていただけると助かります。いえ、ここまでの話でも十分、参考になったんですけどね、さっき挙げてもらった言葉がやっぱり気になってもいて……」
「えっと、なんでしたっけ」
私はノートを見て答えた。
「バカにされた、腹立たしい、憎らしい、恥ずかしい……とおっしゃってました」
早苗さんはわずかに微笑んで、「なんだか、全部、すごく小さいことのように思えてきちゃった。でも、大丈夫、ちゃんとお話しますから。まず、『バカにされた』……ですよね」
「美雪さんにってことですよね?」
「まあ、そうだけど……」
しばし目をつぶって天を仰ぐようにしてから、早苗さんはまた語り出した。
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