case7. 会えない理由(6)

 早苗はあまり気づいてなかったのだが、美雪の母親の若子からも、いつからか電話が来なくなっていたようだった。


 そして、早苗が大学生の時に、美雪の両親がとうに離婚していたことを知らされた。早苗の母親と若子はお互いに長男と次男の嫁という関係で、ともに夫側の親戚とはそれほど親しくなかったせいか、話が伝わるのに時間を要したらしい。祖父母もすでに亡くなっていた。


「若子さんたち、今どこにいるかもわからないみたいなの。美雪ちゃん、元気なのかしらね」


 早苗は、久しぶりに美雪のことを思い出した。手紙が途絶えてずいぶん経つ。


 まだ元気でいて、手紙の返事をちゃんと寄越さなかったと、今でも早苗を恨んでいたりするだろうか。あるいは、もしかするともう美雪はいないかもしれない。痩せて小さく見えた美雪の姿を思い浮かべ、少しだけ胸が痛んだ。


 美雪が亡くなったのなら、離婚の話といっしょに伝えられてもよさそうなものなのに、そうは聞かされなかった。だが、早苗の頭の中では無意識ながら、もうこの世にいないかもしれないという勝手なイメージが広がっていた。


 それからさらに十年以上が経ったある日のこと。

 美雪の父親から早苗の家に、電話がかかってきた。


***


「母が電話を取ったんですけど、若子おばさんが数年前に亡くなったって。もちろん、葬儀はとっくに済んでいたんだけど、今度、おじさんと美雪ちゃんと私たち家族と、久しぶりに会わないかっていう話になったらしくて」


 私は思わず、「あぁ、よかったですね! 美雪さん、お元気だったんですね!?」と言った。


 早苗さんは複雑な顔をして、小さくため息をついた。

「何と言ったらいいか。もちろん元気なのはいいんですけど、私としたら、長年、呪縛のように感じてきたものは何だったのか、って、思うわけですよ」

「美雪さんの呪縛? ですか?」

 サラダの残りの野菜を器の端に寄せてから、私は再びペンを握った。


「えぇ。あれだけ、長く生きられないって聞かされ続けて、だから私は彼女の望むように仲良くしてあげなくちゃいけないみたいに親たちから言われて、手紙だって無理やりつき合わされたようなものだし。そして、私が未だに独身なのに、美雪ちゃんは結婚して子供が一人いるんだっていうんですよ……」

「えっ。結婚も出産もできたってことですか!?」と私は驚きを隠せず、つい大きな声になってしまった。


「そうなんですよ。私も驚きました。拍子抜けするくらいに。本当に、あのころのストーリーは何だったんでしょう? みんな、涙まで流していたのに」

「でも、よかったじゃないですか。いいことですよ」と、私は他人事ながらホッとして残りの野菜を食べにかかった。

 早苗さんは、自分の空になった器を見たまま、しばし無言だった。


 店員が食器を下げていった。コーヒを待ちながら、私はこう切り出した。

「ここまで順を追ってお聞きしてきましたけど、最初に『困ってる』っておっしゃってたこと。そろそろ、そのに入りましょうか?」

 早苗さんは「あぁ、はい」と言った。


 その時、別の店員がすぐにコーヒーを運んできたので、彼女が行ってしまうまで待って、コーヒーを一口飲むと早苗さんが話し出した。


「私、会いたくないんです。というか、絶対に会えません」


 さっきまでの様子から急に変わって語気を強める早苗さんに、私は戸惑った。

「えっと、それは、どういうことで?」

「全部です。どこをどうやったって、会えるわけないです」


 わけがわからない言い方だった。

「一つずつ、整理しましょう。『会いたくない』と『会えない』と、両方あるわけですね?」

「整理? そんなの自分でもよくわからないです。ただ、どんな顔して会えばいいか。そう考えただけで、無理って思います」


 私はちょっとの間、思案した。こちらとしては、ここをこそ明らかにしないと、せっかくネタとして提供された話も中途半端で終わってしまう。


「どうしたら、そのお気持ちを整理できるかしらね。とりあえず、美雪さんに対して抱いている感情を、手当たり次第に挙げてみるというのはどうでしょうね?」


 早苗さんは私を漠然と見たまま無言でいたが、頭では何かを考えているようだった。それから、またコーヒーを一口飲むと、一語一語ポツポツと話し出した。


「振り回された」

「振り回された。それから?」

「かわいそうだって言われていたけど違った、結局私より幸せだった、利用されて捨てられた、騙された、辱められた、バカにされた、腹立たしい、憎らしい、恥ずかしい……」


 私は一語も逃すまいとメモを取っていたが、いったん途切れたところで口を挟んだ。

「とりあえずここまでで、一つずつ具体的に見てみません?」

 さらにほかにも言葉を探しているようだった早苗さんは、こくりと頷いた。

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