case7. 会えない理由(5)

 早苗はその後も美雪とそれほど積極的に会いたいと思ったことはなかったのだから、「二度と会うことはなかった」ということで全然かまわなかったのだが、早苗を慕っていた美雪にとっては、「会えなくなってしまった」と言った方がいいのかもしれない。


 それは、驚くほどいろいろなことが重なった結果だった。


 まず、美雪と最後に会ってから半年後に、早苗の父親が突然亡くなった。


 一家は早苗の母方の親戚を頼って、また美雪とは遠い県へと引っ越しを余儀なくされた。そして、その直前の葬儀にも、病身の美雪は来られなかった。


 早苗の母親は、次第に亡き夫方の親戚と距離を置くようになっていった。

 もともと彼らの近くに住むようになるまでは疎遠にしていたのだから、以前のスタンスに戻っただけとも言える。


 ただし、早苗と美雪は手紙でつながっており、母親同士もよく電話で話していた。掛けてくるのはもっぱら美雪の母親の方からだったのだが。


 ある時、そんないつも通りの電話での長話が終わると、早苗の母親はさも困ったようにため息をついた。


「若子さんったら、早苗の胸がどれくらい膨らんでるかって訊いてきたのよ。美雪ちゃんに、いつからブラジャーを着けさせるか悩んでるんだって」


 早苗はギョッとして、「えー! それ、なんて答えたの?」と色めき立った。


「正直に答えるのもなんだから、うちはまだペタンコだから何も考えてないって言っておいたわよ」と、母親はしょうがなさそうに言った。


 早苗は名誉を傷つけられたような気持ちになった。まだブラジャーはしてなかったが、断じてペタンコではない。かと言って、何センチくらい膨らんでるなどとばらされるのもイヤだ。

「まったく、何ということを訊くのだろう、若子おばさんは」と、腹立たしい思いさえした。


「それにね」と母親が続ける。

「美雪ちゃんの成績がいいこととか、先生に褒められたこととか、たくさん話していたわ。しょっちゅう入院したりしてるのに、美雪ちゃん、えらいわね。早苗の成績も訊かれたけど、適当にごまかしておいたからね」


 はぁ!? とまったくおもしろくない気分で、早苗は母親に抗議した。成績はむしろ良い方なのだ。なのに、なぜごまかすのだろう。「うちの早苗ものよ」って言ってくれてもいいじゃないか。


「こんなことは言いたくないけど——あ、ここだけの話よ——若子さん、入退院繰り返してる美雪ちゃんのことが不憫なのよ。だから、いいところだけを見て、それをほかの人にも認めてもらいたいんだと思うの。そこに、『うちの早苗も』なんて言ったら、対抗意識を燃やしてるみたいで、お母さん、いやなのよね」


「でも、嘘つくわけじゃないじゃん。本当のことなんだから、いいじゃん」


「たぶんね、若子さんは、早苗が健康なことがうらやましいのよ。その部分では、美雪ちゃんが負けてるって思ってるの。だから、勉強では美雪ちゃんの方が上なんだって思いたいんじゃないかな」


 そんなの、大人の勝手だ。

 納得はできなかったが、デリケートな話を、正直になのか事務的になのか、まだ子供の早苗に説明してくれた母親に、それ以上言うのはやめた。


 しかし、娘自慢のような長電話が何度も重なるうち、しだいに早苗の母親も電話に出るのを躊躇するようになった。

 早苗は早苗で、また新しい学校に転校して、環境の変化や新しい友だちに慣れるのに必死で、美雪からの手紙への返事も滞りがちになっていた。


 そんなある日、久しぶりの長電話のあとに、早苗の母親が言った。


「早苗、美雪ちゃんのお手紙に、あまりお返事してなかったんだっけ? 若子さん、もうちょっとマメに書いてくれるように伝えてって言ってたわよ。少し怒っていたみたいだから、ちゃんと頼むわよ」


 早苗はゲンナリした。

 美雪からの手紙は相変わらずの調子だ。便せんを開くと、眩しいほどキラキラしている。見た目も、内容も、そこから伝わってくる美雪の気持ちも。

 そこには、早苗がどうしても同じように合わせられないギャップがあった。


 どうしてだろう。

 本当は、早苗も手紙を書くのは大好きだった。転校して別れた同級生たちには、自分から喜んで手紙を書いている。

 その違いを考えてみる時、美雪の言葉が不意に浮かんだ。


——私の本当のお姉ちゃんになってね。


 きっと私は、誰かのお姉ちゃんにはなれないのだ。

 お姉ちゃんらしくするとか、お姉ちゃんになってなどと言われると、途端にどうしていいかわからなくなる。年下の子に、気の利いた言葉をかけたり、年上らしく振る舞ったり、何かお手本を見せたり、そんなことはできないし、頼られても困るだけだった。それなのに、周りからそれを求められ続けている。


 まして、美雪は病気なのだ。ますますどういう態度をすればいいのか、わからないではないか。下手なことを言ったりやったりして、何か問題が起きるのもこわかった。


 考えれば考えるほど、結局、最後には、お姉ちゃんらしくできず、期待に応えられないダメさを突きつけられているような気分になり、自分のことまでイヤになってくる。


 美雪が私を慕ったりさえしなければ、こんな思いをさせられることもないのに。


 何より、文通している同級生たちと比べて一番の違いは、美雪との文通は自分の意思で始めたものではないということだ。

 しかも、美雪のことが特に好きというわけではないのだろう。


 こうしたいろいろな葛藤の中で手紙を書くということは、美雪に申し訳ないような気持ちにもなり、ますます筆も進まなかった。


 返事を書かずにいて次の手紙が来てしまうといった状況が続くうち、早苗は中学生になった。そして、美雪からの手紙もほとんど届かなくなった。

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