case6. ダメージの与え方(5)

「まず、落ち着いて考えてみると、先生が嘘をつく理由はないですよね。仮にも盗難事件というような大問題ですから、生徒の母親に適当なことを言うなんて不用意なことはできないんじゃないかしら」


 私は、「客観」を総動員して感じたままを話した。


「で、よっぽど確信があったみたいだという根拠は、裕美さんは前にもそういう事件を起こして、学校もそれを知っていたってことなわけですよね。そして、その時も学校側は大っぴらにはしなかった。少なくとも、噂にはなってなかったわけですから。こうして見ると、まあ、筋は通ってるかもしれませんね」


 美保さんは少し納得したように、口を引き結んだ。

「そうか……。確かにそうですね。先生がそんなことをデタラメで言うわけはないか。母も、そんな話、でっち上げる理由がないし」


 美保さんはおしぼりを取り上げて、手のひらを拭いてから呟くように言った。

「でも実は私、その『犯人が誰か』ってところが、一番否定したかったところなんですよね」


 気持ちはわからないでもない。だが、どうも学校側は、犯人が誰かということを問題にするのではなく、コトを荒立てないでほしいと母親に頼むことが目的で、犯人を明かしたのではないだろうか。でなければ、納得しない母親がまた騒ぐかもしれないとでも思って。


「犯人が裕美さんというのは、美保さんにとってはよっぽど信じられないことなんですね?」と私は訊いた。


「全然です。まったく信じられません。だって、私にあの本をくれる時のこと、はっきり覚えてるんですけど、白いブックカバーを外して、ついてるわけないのにホコリを払うみたいに表紙を手でパッと撫でてから渡してくれたんですよ。少しでもきれいにしてあげようって感じで。ニッコリして『はい』って。あれで、そんなこと考えてたなんて、思えないです」


 美保さんの、訴えかけるような目がまっすぐ私を捉えている。それに気圧されるように「そうなんですか……」としか言えなかった。


「人間って、しかもまだ高校生で、あんな演技できると思います? 私もそんなに勘が鈍いつもりなかったですし。少なくとも、あとから聞いたら『そういえば』って思い当たるような雰囲気くらいは、出ちゃうもんじゃないですか?」


 さっきまでの話で、美保さんは本をもらった時にすごくうれしかったと言っていた。それで多少目が曇ってしまったことだってあるかもしれない。が、それは言わずにおいた。


「裕美さんと、喧嘩したり衝突したりしたことはなかったんですもんね?」

 角度を変えてみようと思って、そう質問してみた。


「裕美どころか、私たち四人、喧嘩とかした記憶がないです」

「じゃあ、恨まれたり、何か悪く思われたりするようなこともなかった、と?」

「と、思いますけど? 気づいてないだけ、ってこともあるかもしれないけど、私はないと思ってます」


 また想定外の複雑な話になってきたなと私は覚悟した。いろいろ分析してみないと、本筋に辿り着けない気がする。


「裕美さんって、その事件を別にすると、どんな印象の人でした?」

「どんな印象?」

 美保さんは、まるで質問の意味自体がわからないとでもいうように腕組みをして宙を睨みつけた。そしてもう一度、「印象……」と言った。


「そんなこと言われてみて、いま初めて気づいたんですけど、印象がない? 何も思いつきません」

「印象が薄い?」

「う〜ん、薄いって言ったら存在感がないみたいですけど、そういうわけでもなくて。ただ私、あの三人の中では裕美が一番距離があった気がするというか、遠慮があったというか、心安くできなかった相手なんですよね」

「壁、みたいなものがあった?」

「あぁ、そういう感じかもしれません。つまり、だから、裕美のこと、あまりよくわかってなかったかもしれないです」


 わからない人だからこそ、その人が他人のものを盗んだと言われても、ピンと来ないということだろうか。


「人って、どういう目的で他人のものを盗るんでしょうね」


 何か方向性を見つけたいと思ったわりに、漠然とした質問になってしまった。が、当事者に心当たりがないというのなら、根本に立ち返ってみるのも手かもしれない。


私たちは、お互いに思いつくまま言い合った。


「お金に困る、食うに困る」

「困らせてやりたい、イヤな思いをさせたい」

「復讐、仕返し」

「そういう目に遭って当然の人に、罰や報いとして」

「気に入らない人をいじめる手段として」

「ストレス発散、愉快犯」


 一通り出尽くしたと思ったところで、「いま挙がった中に、心当たりありますか」と私は訊いた。

「ないない。ないですよ、全然」

「消去法ではどうです? 絶対にあり得ないのを除くと?」

「なんか、考えるのがつらくなってきますね」と、美保さんは困ったように笑った。

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