case6. ダメージの与え方(3)

 それから数日の間、美保は十分休みに暗記帳を開けるようになるべく大げさ過ぎるほどの努力をして、やっと机の下やほかの教科書に隠すようにして勉強できるようになってきた。それでも、毎時間ではなかったが。


 勝手にビクビクしていたが、いい意味でも悪い意味でも、私って目立たないんだなと美保は思った。誰からも大して気にされていないのだ。


 そうして一週間ほどが過ぎたある日のこと。

 三時間目の授業を理科室で受けていた美保が教室に戻り、次の科目の準備をしようと机の中に手を入れると、何となく暗記帳がない気がした。が、すぐに四時間目が始まったため、とりあえずそのまま授業を受けた。


 昼休みになると、美保は机の中を総ざらいしてみた。やはり、ない。そこへ、購買部で買ったパンを持って貴子がやってきた。


「何、探してんの?」

「あ、いや、大丈夫」と美保はごまかした。


 そこへ千鶴と裕美もやってきて、四人は机をくっつけてお弁当を食べた。


 意識的に早く食べ終わった美保は、「ちょっと理科室に忘れ物したかも」と言って席を立った。しかし、やはり理科室にも暗記帳はなかった。


 教室に戻ると、千鶴が「あったの?」と訊いてきた。

「うん、いや、いいの」と美保はまた曖昧な返事をしながら、カバンの中をガサゴソと探ってみるのだが、あるはずはなかった。


「どうしたのよ、美保」と貴子が突っ込むので、「ティッシュがないなぁと思って」ととっさに答える。


「なぁんだ。それだったら、ほら、これあげるから」と千鶴はポケットから使いかけのティッシュのパックを取り出して渡してくれた。

「あぁ、ありがとう」と美保は受け取ったのだが、そのあとのおしゃべりは上の空だった。


 そもそも、なぜあんなものがなくなったのだろう?

 不思議に思いながら、しかし美保は、暗記帳を盗られたことを誰にも言いたくないと思った。


 そんなのおかしいのはわかっている。美保は被害者なのだ。だが、これが「盗難事件」なのだとしたら、そんな大ゴトを訴え出て、被害者としてであっても目立つのはイヤだった。ましてや、受験の参考書の類いがなくなったと言うなんて、「私、こんなに勉強してますよ」と宣伝するようなものだ。

 それに、騒いだところで犯人など捕まるわけがない。騒がれ、私が好奇の目で見られるだけで終わるに違いない。どう考えても、騒がれ損ではないか。


 その日の帰り、美保はたまたま貴子といっしょになった。美保は徒歩で帰れるのだが、貴子はバス通学だ。

 バス停まで来ると、美保はそのままバスが来るまで貴子とおしゃべりを続けた。そして、話が途切れた時、ふと貴子が言った。


「そういえばさ、昼休み、本当は何探してたの? ティッシュなわけないよね?」


 こう見えて、貴子は鋭いヤツなのだ。こうなった時の貴子を撃退するのは無理だと、美保は観念した。


「絶対に、絶対に、誰にも言わないでよ」と念を押して、美保は事の次第を話した。


 一通り聞くと、貴子は興奮して言った。

「お金は? カバンにお財布も入ってたんでしょ? それは大丈夫だったの?」


 言われてみれば、もっともだった。

 小銭しか入ってなかったとは言え、カバンには財布も入っていた。が、それにはまったく手をつけられた形跡がなかったことを思い出した。


「大丈夫だった」と答えると、バスが来るのが見えた。


「明日、千鶴に相談してみよう」と言って、貴子がバスに乗り込む。誰にも言わないって約束したのに、と思いながら、美保は家路に着いた。


 家に帰ると、美保は夕食の席で事件のことを話した。

 母親は「やだねぇ、そんなことがあるの?」と眉をひそめて、「先生には言ったの?」と訊いた。

「いや、ただの付録だし、騒がれるのも鬱陶しいから、いいの。諦める」と答えると、それ以上何も言われなかった。


 ただ、翌日の登校前に、「お金だけは気をつけてね」と母親が言った。


 その後、美保が登校すると、千鶴と貴子が小走りで寄ってきた。


「ちょっと、貴子から聞いたよ。なんで言ってくれなかったの?」と千鶴が不満そうに言う。

「もっとよく探せば、どこかにあるはずだと思って」と、美保は渋々答えた。予想はしていたが、これ以上は面倒だった。


「で? なかったんでしょ?」

「うん、たぶん」


 話が終わらないうちにホームルームのチャイムが鳴った。続きは、昼休みに持ち越しだ。


 その日、裕美は学校を休んでいるようだった。


 昼休み、三人そろうとさっそく千鶴が口を開いた。


「それさ、先生に言った方がいいよ。私、ついて行ってあげるから」

「いいよ、そんなの。もう忘れて」


「なんでよ。これはれっきとした事件だよ?」と貴子は語気を荒くして言った。

「でも、お願いだから、先生に言うのはやめて」と、美保は半ば懇願した。

「そんなに言うなら、とりあえず黙っとくけど、その本はなくてもいいものなの?」と千鶴が心配そうに言う。


「うん、もともとそんなに使ってなかったし、いいの」と美保は答えた。

 本当は、わかりやすくまとめられているところが気に入っていた。だからこそ、本気の勉強を決心して、いの一番に持ってきたのだから。


 だけどやっぱり、騒ぎにするのはどうしてもイヤだった。

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