case6. ダメージの与え方(2)

 そんなある日、昼休みにお弁当を囲みながら、四人は珍しく進路について話をした。


「この中では千鶴だけが着々って感じだよね」と貴子が言う。

「まあね。子供のころから○○大に行きたいって思ってたからね」

「そこからずっと変わってないのがすごいよ」と美保は心底感心して言った。


 いち早くお弁当を食べ終わった貴子は、乱暴に弁当箱を片付けながら訊いた。

「で? 裕美は決めたの?」

 まだ口をもぐもぐさせながら、貴子が裕美を見る。


 なかなか反応しない裕美に、誰も答えを促さなかった。

「普通の大学に行こうかなと思って」とやっと口を開いた裕美に、千鶴が鋭い視線を向けた。

「えぇっ? そうなの? 病院のおうちってよくわからないんだけど、看護師とか薬剤師とか、そういうのにもならなくていいの?」

「そうだよ、お母さんも看護師さんでしょ?」と貴子も同調する。


「お母さんは好きにしなさいって感じなんだけど、お父さんは昔からずっと医者になれって言ってたんだよ。だから、看護師は、ない。薬剤師も興味ない」

「そうなんだ。そういう時、病院ってどうなるの? あと継がないの?」と貴子の突っ込みは止まらない。美保はハラハラした。


「今から本腰入れてもね、医大に受かると思えないし、最近親もやっと諦めてさ、今度は医者と結婚して後を継げって言ってる」と、裕美は苦々しそうに言った。


 大変だなぁと、美保は裕美に同情した。

 自分はどちらかと言うと裕福ではない家庭に育って、いつも余裕のなさに汲汲としているところがあったが、お金持ちにもお金持ちなりの悩みがあるのだ。加えて、継ぐべきものがある家柄に生まれるという境遇が、美保にはうまく想像できない。すべてが一人娘である裕美の肩にのしかかっているというのは、どういう気持ちなんだろう。


 自分の受験も黄色信号がついたり消えたりしてる状況にもかかわらず、裕美のことが気になってしまう美保だった。


 話の方向を変えようと、美保は貴子に矛先を向けた。

「貴子はどうなの? 短大決めたの? 試験の日程一番早いの、貴子じゃない?」

「いや、あたしはさぁ、数打ちゃ当たるで、いくつか受ければどこか引っかかるでしょ」と貴子はわざと余裕のある素振りで言う。


 そこで思いがけず、裕美が美保に訊いてきた。

「美保はどう? 順調? どっちにするか決めたの?」


 地元の公立は二校しかなかった。


「決めるって言っても、どっちみちセンター試験次第だからさ。まだ全然。どっちにも引っかからない結果だったら、それでおしまいだし」と、美保は力なく答えた。


 ふだんはのんびりしているくせに、誰かとその話をすると、本当に切羽詰まった気持ちになった。


「みんな、勉強してんのかなぁ。私、ほんとに、まったくやる気が起きないんだよね」と言いながら、美保は教室を見回した。いつもと変わらない、平和な風景だった。


 この会話がきっかけというわけでもないのだが、その後、美保は少しは本気で勉強しようと決心した。

 家にいるとどうしてもダラダラしてしまう。そこで、手始めとして授業と授業の間の十分休みに、英単語の暗記でもしてみようと考えた。そして、ずいぶん前の月の受験雑誌に付録でついてきた「大学受験のための英単語暗記帳」という小冊子を使うことにした。


 次の日、一時間目が終わると、美保はさっそく暗記帳を取り出そうとした。

 だが、あらためて周りの様子を気にしてみると、こんなにうるさかったんだと思うほど、皆がしゃべったりはしゃいだりしている。自覚のなさを教師たちが嘆くのも無理はない。勉強してる者など誰一人いないようだった。


 美保は急に怖じ気づいた。ここで一人だけこんなものを出して勉強し始めようものなら、絶対に浮いてしまう。下手すると、嫌味だと思われたり、反感を買ったりするかもしれない。


 カバンから取り出しかけた暗記帳を、美保は開かずにまたしまった。


 そんなことを言ってられないのは重々承知だった。美保は、定期試験では常に学年で二十位以内、クラスでもだいたい三位から悪くても五位以内に入っていたのだが、もともとがそれほどレベルの高い高校ではないために、この順位が受験の成績を保証してくれるわけではなかった。ましてや、比較的最近習った狭い範囲から出題される定期試験のようなものは得意でも、全国模試などでは美保のランクはグッと下がってしまう。


 そろそろ本当に、何とかしないと手遅れになりそうだった。


 結局、満足に暗記帳を開けないまま、その日も五時間目に突入していた。

 あと十分休みは一回しかない。そこで開かなければ、この先ずっと開けない気がしていた。

 終わりを告げるチャイムが鳴ると、美保は意を決して、とは言っても机の下に隠すようにして、暗記帳を開いた。誰にも見つかりませんようにと祈るような気持ちで。


 単語を三つくらいチェックし終えたころ、「何、見てるの?」と声がかかった。


 ギョッとして顔を上げると、裕美が身を屈めて覗き込んでいた。


「あ、いや……」と美保が困惑していると、「あ! それ私も持ってる!」と言って、裕美はバッと乱暴に本を取り上げた。

 手に入れた当初はさっそく数ページに目を通してマーカーを引いたりもしたのだが、あとはほとんど新品同然。そんな状態を見られるのも恥ずかしかった。


 なんとなくだが、グループの中で美保が一番距離を感じているのが裕美だった。「返して」と言いたいのを飲み込んでアタフタする美保をよそに、裕美はパラパラとページをめくると、「へぇ、ちゃんとやってんだ」と言った。

 本当は、やってなんかいないのは一目瞭然なはずだったが、裕美が何を思ってそう言ったのか美保に知る由はなかった。

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