村下、プライベートで人に会う(3)

 私は街中のワンブロックを歩く間に、路上アンケートの調査員八人から次々と声をかけられたことがある。何とか振りほどいてワンブロックを通り抜けて振り返ると、そんなにみんながみんな声をかけられてる様子はない。こんなようなことが、よくある。

 キリコさんもよく道を訊かれると言う。もちろん私もそうだ。


「私って与し易く見られるのかなと思ってたんだけど、キリコさんは本当にやさしそうに見えるから、声かけやすいんでしょうねぇ」と私は思ったままを言った。

 するとキリコさんは、「村下さん、私、そんなにやさしくないですよ」と困ったような顔をした。「気弱なところがあるからそう見えるのかもしれないけど、自分のすべてを見せてるわけじゃないですから。特に、書くものではいいところしか出してないし。本当はすごく腹黒くて、ズルくて、すぐヘタレるし、飽きっぽいし、時々怖いことも考えてますよ」といたずらっぽく言った。


 確かにそうなのかもしれない。いや、ほとんどの人がそうなのだろう。むしろ、自分のすべてを人に見せながら生きる方が難しいし、見せたくない部分がないような清廉潔白な人などほんの一握りもいるかどうか。

 キリコさんが続ける。

「エッセイでもちょっと書いたことあるけど、私もこう見えていろいろあったので、それなりに自分の中に負の蓄積はあるんです。それに、若い時は若いなりに痛いところもあったし」

「人ってみんなそうなのかもしれないなぁ。でも、そういうのがあるから、人にもやさしくできるのかもしれないですね」

「そうそう、人にやさしく、それ以上に自分に甘く、ぬるく、ゆるく、ね」と、キリコさんは笑った。そんな話を、ふだんも私たちは書き交わしていた。


「それなら、私も負けないかも。トシとともに、生来のグータラにも磨きがかかっちゃって、もう開き直ってるもの。だから、ゆるい人じゃないとつき合ってもらえないって感じよ」

「私も若いころは、もうちょっとちゃんとしようと思ってたんだけどなぁ。いつからかダメな自分を認めたらあまりに楽で、結局そこに落ち着いちゃいましたね」。そう言って、キリコさんはおしぼりを広げてから、また畳んだ。


 それぞれドリンクバーからお代わりを持ってきて、一息ついた。

「最近、息子さんは?」と、私は訊いた。キリコさんは以前、息子さんが恋人だと言って、息子さんの話題もしばしば書いていた。

「相変わらずかな。でも、前より少し、親の比重が減ったような……」

「男の子って、中学生くらいから急に友だち中心になるイメージあるけど、そろそろそんな片鱗が?」

「まだそこまでじゃないけど、もしかしたら深いところでは徐々にシフトしていってるのかもなぁ」

「子育てって、成長を喜びながら楽しめる反面、ちょっとさびしい面もあるんでしょうねぇ」と、私は想像して言った。

「そうそう、そうなんですよね。言葉にしちゃうと、本当にさびしいなぁ。でも、いつまでも子供でも困るし。学校のこともいろいろ大変だから、そういうのから解放されるのはいいんだけど……でもやっぱり、さびしいっ」とキリコさんは切なそうに言った。

「キリコさん、ちゃんと自分の世界を持ってるから、子供べったりの親御さんよりはうまく子離れできるんじゃないかしら」

「えぇ? どうでしょう、そうかなぁ。そうだといいけど」と言いながら、キリコさんはカフェラテのカップを両手で挟んで持ち上げ、中を覗き込んだ。そして、おもむろに「今の息子との関係を、そのまま真空パックにしてとっておければいいのにな」と呟いた。


 こういう感性が私は好きだ。キリコさんのセンスがうかがえる。


 彼女は、好きな本や映画、音楽などを楽しむ人だ。そこから豊かな感受性で受け取ったものが、天性のセンスとミックスされて、魅力的なエッセイや小説に生きている。目の前のキリコさんは、それを軽やかにやってのけているように見える。


「私、エッセイにも書いてるけど、一日中どこにも出かけないで、好きなこと書いて投稿したり、ラジオや音楽を聞きながらハンドメイドしたり、本を読んだり、映画やドラマを見たりしながら、ずっとソファの上で暮らすのが夢なんですよね」

 一時期、失業してそういう生活をしたことがある私は、「それも、ずっとだと飽きますよ〜」と夢のないことを言った。するとキリコさんは、顔を上げてにっこりして言った。

「そういう生活を思う存分やってから、私もそう言ってみたい」

 そうだ。しばらくは楽しい。やる価値はある。


「あぁあ、そろそろ夕はん支度に帰らなくちゃ」とキリコさんはため息まじりに言った。

「今日はありがとうございました。こんな貴重なものまでもらっちゃって」と、私は深々と頭を下げてお礼を言った。

「いえいえ、そんな。こちらこそ、楽しかったです。ありがとうございました」とキリコさんもぺこりとした。それから「それ、かえって押し付けちゃってませんか?」と、チャームを指差して言う。

「まさか。私の宝物にします」と私は深緑色のポンポンを撫でながら言った。


 外に出てみると、思った以上に暮れている。駅の前までキリコさんがついて来てくれた。

 名残惜しく、私はまっすぐにキリコさんを見て言った。

「これからも、エッセイも小説も、更新楽しみにしてますね。私はキリコさんのファンなので、ムリせずにずっと続けてくださいね」

「ありがとうございます! そうできるようにがんばります!」とキリコさんが元気に答えてくれて、私たちは別れた。


 改札をくぐって振り向くとキリコさんはまだそこにいて、バッグを持った手を上げてバイバイというように振った。バッグといっしょにポンポンが揺れているのが見えた。

 私もバッグを持った手を上げて、ポンポンを揺らすように思い切りバッグを振った。

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