case5. つきやぶる!(11)

 この話、「性癖について」のはずが、だんだん恋愛相談みたいになってきてるなと思っていた。


 いつもは、話をネタとして受け取ることが目的とは言いながら、相手がそれを話すことで何を求めているのかも探りつつ聞き取りを進めている。その方が、取り留めなくなりがちな話の本筋をつかみやすいからだ。

 だが、今日は相手の求めてることがなかなかわからなかった。本人もわかってなかったのかもしれない。


「まず、ごめんなさいね、性癖、というか、の体の感じ方というのは、本人にしかわからないものですよね。だから、私が珠子さんのことを判断するなんて、ほんとはできないと思うんですよ。でもね、マゾって決めつけるのはまだ早いんじゃないかしら」と私は言った。


 珠子さんは無防備なまでにポカンとした顔をして私を見た。

 こういうところなんだろう。未だあどけなさの残るその表情は、純粋さと、それと隣り合う危うさを併せ持ったような不思議な魅力があった。


「珠子さんはまだ、本当に好きと思ってる人とことないですよね? まずは、その同僚さんをほんとに心の底から好きになれるかどうか。そして、好きになれたら、そのあとでをして、初めて答えが出るんじゃないかと、私は思います」


 本人が「自分はマゾだ」と持て余していた感覚は、実は健康な若い女性の多分に健全な性欲に過ぎなかったのではないか。多少旺盛過ぎて、それゆえ何らかのを帯びているように見えたかもしれないが。


「そう、なんですかねぇ」と、珠子さんは私の言葉をゆっくりと自分にしみ込ませるように呟いた。


 最後に私は訊いた。

「結局、珠子さんは晃さんを好きになっていた、ということじゃないですか? しかも、初めて好きになった人、ですよね?」


 珠子さんは少し首を傾げて考えるようなしぐさをしながら言った。

「そういうことになるんでしょうか。アイドルを除けば」


***


 おかしな取材だったなぁ、と思う。せめて、これから新しい恋愛へ向かいつつあった珠子さんの、意識や気持ちを過去とともに整理するという程度の成果は出せたと言っていいのだろうか。


 初めての体験相手は、往々にして忘れられないものだ。ましてや、それが初恋だったならば、なおさら。


 珠子さんの場合、遅過ぎた初恋と気づく間もなく、相手が消えるという形で取り残され、混乱したのだ。という行為の虜になったのではなく、好きになっていたのだ。と、私は思った。

 そして、ほかの人との行為の中に、晃さんとの記憶を求めていたのではないか?


——青春だなぁ。

 久しぶりに口にしたその言葉から、甘酸っぱい記憶がよみがえる。自分の体験やら、晃さんと珠子さんの話やらが、妙に生々しく頭の中でフラッシュバックする。そして、私はあることに気づいて苦笑した。


 その時の晃さん、ないよね!?


 青春は残酷だ。それでも、やっぱり愛おしい。

 彼なりに作戦を練ったのだろうか、少しずつ珠子さんとの距離を詰めていって、その日、溜めに溜め込んでいたものが爆発したのか、それともあれも計画通りだったのか。半ば強引な形になったのはまったく褒められないが、不器用なまでにまっすぐな恋心が垣間見える。彼は彼でやっぱりうぶだった。そして、けっこういいヤツだったんじゃないか?


 惜しむらくは、が起こったあとのすれ違いだ。きっと、ほんのちょっとしたアヤだったのだ。せめて、「またね」くらいの言葉があればどうだったか。


 いずれにしても、珠子さんを新しい広い世界へ引っ張り出したのは晃さんだった。想定外に広い世界だったかもしれないが。


 今、どんなふうになっているのだろう。珠子さんよりも、顔も知らない晃さんの方に思いを馳せ、こんな弟がいて、恋愛のアドバイスをしたりするのって楽しいんじゃないか、などと想像する。いや、私も若ければ晃さんに恋してたかも?


 結局、今のところうちの先生には採用されないでいるこの話、タイトルを付けるとしたら——「遅すぎた初恋」だろうか。


 いや、それよりも、私の中に印象深く残った言葉があった。


 珠子さんは「あの出来事で、一枚殻を破ったみたい」だと言った。

 確かに、それにより実質的なが破られ、洒落て言うなら新たなステージの幕をも突き破って、あまりに純な珠子さんはいきなり対極へ突き進んでしまった。

 ただの初恋話と違うのは、そこのところのインパクトだった。


「つきやぶる!」はどうだろう。


 そんな珠子さんも、今ごろは普通に恋愛を楽しんでいると思いたい。


 青い春の愛おしさに胸がいっぱいになりながら、私は勢いよく保存のボタンを押した。

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