case5. つきやぶる!(10)

 話が思いがけない方へ展開した。しかし、そもそもはそこから始まっているのだ。一番に検証すべきところだろう。


「声をかけて、それで?」

「向こうも懐かしがってくれて、彼の希望で金太郎に飲みに行きました」


 俄然、興味が湧いてきた。どっちにしても、カギを握るのは晃さんだ。私は先を促した。


「積もる話をした…と言っても、私はそんなに話すこともなくて、彼の方が旅行の話をいろいろしてくれました。それが面白くて、すごく楽しくて、二人ともいいだけ酔っぱらって」


 それから、珠子さんはさびしそうにうつむいた。

「帰りにまた遅くなって、タクシーに乗るってなったんです。私は、彼がいっしょに乗ろうって言ってくれると思ったの」

「それで、また前と同じことを期待した?」

「えぇ。だけど、晃くん…」


 珠子さんは声を詰まらせて、黙り込んだ。

 私は慌てて、「ごめんなさい。話したくなかったですか?」と小声で言った。

 珠子さんは鼻をすすりながら、「いえ、すみません。話します」と言って、紙ナプキンで目を押さえてからまた話し出した。


「タクシーを止めて、彼が私を乗せてくれて。いっしょに乗ってくると思って私が奥へ詰めたら、じゃあなって言ったんです。いっしょに乗ろうよって言ったら、俺はいいからって、行こうとして。それで私、慌てて運転手さんに謝って、下りて、なんで!? って怒ったんです。彼びっくりして、方向も違うし、別々に帰るのが普通でしょ? って。普通って何? 前は普通じゃなかったのに。なんで? そのせいで私……」


 また、珠子さんは涙ぐんだ。私は黙って、落ち着くのを待っていた。


「けっこう食って掛かったんですよね。彼のことしつこく叩いて、なんで? なんで? って」

「それで、彼はなんて?」

「ちょっと落ち着こうって言って、大学の方へ戻って、構内のベンチに座って。どうしたの? って訊くんです。だから、なんで黙ってバイトやめたの? って」


 普通の話になってきて、私は内心ホッとした。

「それ、私も気になってました」と言うと、え? というように珠子さんは顔を上げた。


「だって、あまりに唐突に消えましたよね。あんなことしたあとで」

「やっぱり、そうですよね。でも彼は『よく言うよ』って。ふった? 私が? ってびっくりしたら、泊まらないで怒って出ていったじゃん。俺、けっこうショックだったんだぜって」


 そうだったのか。

 私は、珠子さんにばかり感情移入しようとがんばっていたが、なるほど確かに、男だって傷つくことはあるだろう。


「私自身はきっと、あのあと晃くんが旅に出るまでの間、また話したりごはん食べたり、そういうことできると思ってたんでしょうね。意識はしてなかったけど。でも、突然いなくなるっていう真逆のことが起きたから、混乱してずっと悶々としちゃってたのかなと思うけど、彼は彼で、私にふられたと思って、音信不通にしてたってことで。聞けば聞くほど、なんで? ってなったんです」

「珠子さんにしてみたら、そうですよね」

とか何とかいう状況じゃなかったです、わたし的には。で、もう一度してほしいって、その…アレをしてほしいって抱きついたんです」


 目の前の彼女からは想像しがたい激しさだ。

「そしたら、やめろよって払いのけられて。私、本当に悔しくて泣きました」


 純であり過ぎることは、時として人を極端に走らせる。そんなことを思いながら話の続きを待った。


「私が泣いてたら、彼、ごめんって謝ってきて、実は自分は旅行の間、私を忘れようとしてたんだよって。で、旅先で会った日本人の女の子と仲良くなって、しばらくいっしょに行動して、行き先分かれて別々になってからも連絡取ったりしてるんだって」

「つまり、彼女ってことでしょうか」

「そうはっきりとは言いませんでした。でも、そんな話するってことは、私に予防線張ったってことですよね。つまり、もう私たちはそういうことはしないって意味だと思いました」

「んー、そうなんですかね。で、帰りのタクシーはどうしたんですか?」

「別々に帰りました」


 私は胸が詰まった。うぶな人って、やっぱりいるもんなんだ。


 生身の誰かを好きになったこともなく、そういう世界に疎いまま二十歳を過ぎ、あまりに衝撃的に性と出会い、初めての感覚に戸惑い、聞きかじりの表面的な知識で解釈しようとした。

 そして、馴染みがなかっただけに無防備なまま性の感覚に支配され、思い込みに従って自分を鎮めようとしたということだろうか。熱中しやすい性格もあってのことだったかもしれない。背伸びをしたい気持ちもあったのだろう。


 そんな中での晃さんとの再会。最初の小さなすれ違いは、一年の間に大きくいた。その一連の情景を想像すると、あまりに痛々しかった。


「珠子さん、今はもう卒業されて…」

「はい、社会人一年目が終わるとこです」

「晃さんとは、それきりなんですか?」


 答える代わりに、珠子さんはこくりと頷いた。


「訊いてよければ、ですが、その後、恋愛は?」

「今、会社の同僚で好意を持ってくれてるみたいな人がいて。でも私、どうしたらいいんでしょうね」と珠子さんは恥ずかしそうに言った。

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