case5. つきやぶる!(4)

 見舞いに行ったのは、定休日の月曜日、午後六時。珠子と晃のほかに男女一人ずつのアルバイトを加えた四人だった。


 隔離病棟にいる田宮は元気そうだったが、どこで聞いたのか男性陣は「先輩、タネの方は大丈夫ですか?」などと男性不妊のリスクでおもしろおかしく盛り上がっていた。

 一方の珠子は、初めて見る隔離病棟の作法が珍しく、そんなことばかりに気を取られていたのだった。


 帰りはみんなで近くの繁華街へ繰り出そうということになった。アルバイト同士プライベートで顔を合わせたのはこれが初めてだったが、四人ともほぼ同年代ということもあり、あっという間に打ち解けた。そして、珠子にとっては、アイドルの話以外で誰かとこんなに楽しく盛り上がるということ自体、初めての経験だった。


 この日、珠子のもう一つの初めてが飲酒だ。

 二十歳になったばかりの珠子は、恐る恐るライム割りをなめた。少し苦いジュースみたい。思いのほか美味しくて、一杯を飲み干すころにはほろ酔いになっていた。


 一軒目の居酒屋では飽き足らず、次はカジュアルなバーへ。

 真剣な悩みを打ち明ける者もいて、話は尽きなかった。


 珠子は、同年代、特に男子たちのリアルに初めて触れる思いで、何もかもが新鮮だった。今まで自分は、どこで何を見て生きてきたんだろう。晃の横顔を見ながら、不思議な感じがした。それまで見えない壁があったようだったのが、今は彼の存在がすぐそこに感じられる。気づけば、もうとっくの昔に、第一印象の「気持ち悪い」は消え失せていたのだ。


「もう終電、ヤバいんじゃない?」と一人が声を上げ、やっとお開きになった。十一時半だった。


 四人は急いで駅へ向かったが、改札をくぐる直前で、晃は珠子の手を引っ張って止めた。もう一人の男子が改札の向こうで、ついて来ない二人に気づいて怪訝な顔をしたが、晃は「俺たち、逆方向だから」と明るく手を振った。ただ呆然と晃を見つめていた珠子に、女子アルバイトも「じゃ、またね」と手を振って行ってしまった。


「逆方向って、意味わかんないし」と呟いた珠子に、晃は「もうちょっと話さない?」と言った。

「何を? どこで?」と不機嫌に返しながら、珠子は内心で少しうれしく感じている自分に気づいた。

「あっち側に公園があるんだよ。缶ジュースでも買ってさ、ちょっと酔いも冷まそうよ」


 ブランコが月に照らされていた。迷うことなくそちらへ近づき、晃は片方に座った。そして、珠子にも来るように促す。


 ブランコなんて、いつ以来だろう。酔いも手伝って、珠子はブランコに座るとすぐに漕ぎ出した。夜空に近づくたびに、心がさらに解放されていく気がする。気づくと笑い出していた。


「もう、いいでしょ。たまっち、はい、やめー」と晃が叫んだ。


 珠子はすぐにブランコを止めて口を尖らせた。

「いま、たまっちって言った!?」

「それが何か?」

「たまっち、言うな!」

「珠子だから、たまっちじゃん」


「もぅー、バカ」と、本気で怒る気もない珠子は拗ねるように言った。それから、携帯電話を取り出して、「ちょっと遅くなるから。うん、紗子といっしょ」と家に連絡した。


「で? たまっちは、何が楽しいの?」

「は? 楽しいって、何が?」

「だから、ふだんさ。何してんの、いつも」


 その質問に、珠子は答えることができなかった。

「何でもいいでしょ? 答える義務ないし」と言いながら、また静かに珠子はブランコを揺らした。


「俺さぁ、後期から休学して、外国へ行こうと思ってんの」

「外国!?」


 珠子はブランコを止めて、晃を凝視した。「どういうこと? 留学するの?」

「いや、今しかできないことしたくて、ちょっとブラブラあちこち見て回ろうかなと思って」

「ふぅ〜ん、いい身分だねぇ」

「なに言ってんの!? 自分で金、貯めてんだよ。ほかにもバイトしてるし」


 珠子の知らない晃だった。もう少し、チャラチャラしているのかと思っていた。


「ごめん、そうなんだ。で、どれくらい行ってんの?」

「とりあえず半年。もしかしたら一年に延長もありかな」


 聞きながら、珠子は上の空だった。これまで感じたことのない、胸が締め付けられるような感覚に満たされたせいだった。

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