case5. つきやぶる!(3)

 晃を避けたいがため、珠子が席を立とうとすると、それより一歩早く紗子が「お茶のお代わり取ってくるね」と立ち上がった。


「ちょ、ちょっと待って…」と声を潜めて言いかけたが、遅かった。

「んもぅ、一人にしないでよ〜」と内心おじけづく珠子の隣で、相変わらずこちらを見もせずに、突然、晃が言った。


「『金太郎』でアルバイト募集してたでしょ。俺、面接受かったから」


「えっ!? どういうこと!?」

 珠子は意味がわからず、晃を見つめた。


 やっと晃はこちらを向き、「別に。俺だってバイトしていいでしょ。大学から近いし、ちょうど募集してたし。珠子さんもいるし」と、にっこりする。


 お茶を持って、紗子が戻ってきた。おしゃべりの続きをする気満々の紗子に、「それ飲んだら、行こう!」と、珠子はもう席を立ちながら急かす。

「えー。ちょっと待ってよ。なに急いでんの?」

「私、売店行きたいから」

 珠子は紗子を急き立てて、半ば強引に学食と晃をあとにした。


 外に出ると、「あの人、ストーカーかも」と珠子は不安そうに紗子に言った。

「私のバイト先に、応募して受かったらしいの」


「えっと、ちょっと待って。順番に話してくれる?」

「この前、『つき合ってください』っていきなり来たんだよ。で、断ったら、今度は同じバイト先に応募したのよ」

「え、じゃ、なに!? 珠子のこと、好きだってことじゃない!?」


「やっぱ、そういうことになる?」と真剣に訊く珠子に、紗子は呆れて言った。

「好きじゃないのに、つき合っては言わないでしょう。てか、なんですぐに教えてくれなかったのよぅ」

「冗談で、からかわれただけかと思ったから…」


 その日の夜は、居酒屋「金太郎」のアルバイトの日だった。

 が、晃の姿はまだなかった。ホッとしながらも、次はいっしょになるかもしれないと思うと、落ち着かない気持ちは拭えなかった。


 金太郎には、現在、珠子を含めてアルバイトが三人。店長は、それを五人にして、もっとシフトを楽に回したいらしい。確かに、忙しい時には珠子もイレギュラーでかり出されることがあった。その分お金になるのは悪くないのだが、私用の入ってる時に急に予定変更を迫られるのは、煩わしくもあった。


 珠子の家は、公務員の父親、専業主婦の母親、五歳下の弟の四人家族である。

 大学生になって、珠子は親から携帯電話料金を含めてのお小遣い三万円をもらっていた。相場から言うと悪くはないらしいが、交通費、ランチ代、教科書など学業の必要経費、携帯電話料金をそこから払うと、洋服代や飲食代がかさんだ月はまったく余裕がない。単月では赤字になったりもする。ましてや、年に数回、東京に遊びに行きたいと思えば、アルバイトは必須だった。


 幸い、珠子の両親はよく言えば物わかりがいい、悪く言えば放任主義なところがあり、特に父親と珠子はお互いに関心がないかのようだった。少なくとも、珠子にとっての父親は影の薄い存在だ。


 弟もまだまだ子供っぽくて、ゲームに夢中。珠子は珠子でアイドルに夢中で、喧嘩するほど接点もない。家の中に男はいるが、珠子にはどこか遠い存在だった。


 母親は、珠子のあまりのアイドルへの傾倒ぶりを理解できないことと思っており、口には出さずとも心配していた。お互い普通に話はするのだが、年相応に恋心の一つも抱いたことがなさそうな娘をどうしたらいいのか扱いあぐねていた。


 仲が悪いわけではないが、取り立てて仲の良い家族という感じでもない一家。

 家族関係に悩むことがない代わりに、家族というものに特別な思いもない。アイドル一筋で二十歳にまでなった珠子は、そのせいか、リアルの恋愛やその先にあるだろう結婚や家庭や子育てといった女の道筋を、現実のものとして自分に引き寄せて考えたこともなかった。


 ついに、晃と珠子のシフトが重なる日がやってきた。

 店長と、先輩の男子アルバイトが晃の指導をしている。珠子はそれを遠巻きに、見るともなく見ていた。


 晃は最初のころこそ戸惑う様子も見られたが、なかなか覚えがよく、何でもソツなくこなせるタイプらしく、みるみる接客が板についていった。明るいキャラクターということもあり、ウケもよく、馴染み客にもかわいがられた。そして、数カ月ののちには、珠子よりも古株のような存在になっていた。


 仕事の場で、晃はあからさまに珠子にアプローチするようなことはなかった。ただ、業務の中で必要なことを話し、時には助け合い、いっしょに働く仲間としてお互いを尊重するようになっていった。


 そんなある日のこと、先輩アルバイトの田宮がおたふく風邪で入院した。大人のおたふくは厄介で、心配したアルバイト仲間同士、いっしょにお見舞いに行こうということになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る