case5. つきやぶる!(1)
彼女と会う日、私は少し緊張していた。
ネタ提供フォームの「概要」の欄には、「性癖について」と書いてあった。そういうものについて、私はあまり詳しくない。冷静に話についていけるだろうか。できれば取材などしたくない分野ではあったけれど、何となく、うちの先生のお役に立つような話かもしれないという気もした。
私の不安を増幅するかのようなどんより曇った空の下、私は相手の指定したビュッフェ形式のレストランへ向かった。ビルの最上階、飲食フロアの一角にある店だった。
待ち合わせ時間はランチが始まって一時間後くらい、やや空き気味の時間ではあったけれど、彼女の方で予約を取ってくれていた。
私が到着すると、エントランス脇の順番待ちの椅子に座っていた女性が立ち上がった。
そういう話を、ネタ提供だとしても人に話そうと思うことが、どういう心境からくるのか。私は、かろうじてそこに興味があった。もしかして、話すこと自体が快感だなんて思ってないでしょうね、と半ば危惧しながら、漠然と派手な外見の女性を想像していた。が、目の前の彼女は、一度会っただけでは顔を忘れてしまいそうなほど印象の薄い、地味で、幼い感じの容貌の女性だった。
店員に店内へ通された。
システムの説明をして店員が去っていくと、私はあらためて挨拶をして、ご足労いただいたお礼を言った。
彼女は開口一番、「ここでよかったですか?」と訊いてきた。
「えぇ、こちらはどこでも」と答えると、「長居できそうな所って、ここしか思い浮かばなくて」と彼女はすまなそうに笑った。
お互いに、スイーツを中心に軽く盛った皿とドリンクを持って席に着くと、意を決したように彼女が口を開いた。
「私って、たぶんM、マゾなんです」
長い話になりそうだった。
***
彼女を仮に珠子とする。以下、名前はすべて仮名だ。
珠子は子供のころから奥手だった。ませた同級生や、大人の話の端々から聞こえてくる性的な言葉は、珠子にとって遠いイメージの世界のものでしかなく、具体的に何なのか知る由もなく、興味もあまりなかった。
体の成長も同級生と比べるとかなり遅く、初潮を迎えたのも中学二年になってからだった。そして、そのころになると、以前は興味のなかった性の世界は、極度に「恥ずかしいもの」という認識に変わり、ますます遠いものになっていく。
代わりに珠子が夢中になっていたのは、アイドルの追っかけだった。もちろん、中学生のお小遣いでできる範囲の楽しみ方ではあったが、頭の中はアイドルでいっぱいだった。
その後、珠子が正しい性の知識を得たのは保健の教科書からであり、昔みんなが言っていたのはこういうことだったのかと今さらながら思い当たった。とともに、珠子は体の奥底に、何かうずくものを感じ、そんな自分に戸惑った。
小学生のころ、いたずら好きな男子たちに追いかけられて、まだペタンコの胸を触られたり、スカートを引っ張られたりした光景を思い出す。
心底嫌がって、怒りまくっていた同級生もいた中で、珠子はそれを一種の戯れとしてキャアキャア言いながら楽しんでいた。ひとえに、性的な意識がまったくなかったせいかもしれない。
思えば、異性との近しい接触は、それまでのところあれが最初で最後だったような気がする。
そして、おかしなことに、小学生のころのそんな戯れの光景を思い出しては、珠子はまた自分の中心で何かがうずくのを感じるのだった。
とはいえ、相変わらず珠子の意識の大半を占めるのはアイドルのことで、同じ趣味の同級生と情報交換したりしながら盛り上がることが最高の幸せ。あとは適当に勉強をやっていれば、平和に世界が回っていた。
珠子は、現実の男子にも興味がなかった。せいぜい、隣のクラスの○○くんがアイドルの△△に似てるといった程度の話をするくらいで、もちろん現実の○○くんがそのアイドルに及ぶべくもなく、それ以上の関心は持てなかった。
そして、ほとんどそのままの状態で、珠子は大学生になった。
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