case4. 代理戦争(10)
私は彼女の質問に一瞬戸惑ったものの、話を聞く中で漠然と思っていたことをたぐり寄せてみた。
そもそも、お互いに相手に認めさせたいポイントがまったく違ったのだから、議論自体が噛み合っていない。だから、このやり取りだけを見て純粋に正否を判断するのは難しいだろう。
思案の末、私が落としどころだと思うところを正直に言った。
「私はクラシックにそんなに詳しいわけじゃないので、彼が厳密に正しいのかどうかは言えませんけど、彼なりに、筋だけは通ってる感じがしますね。ただ、サキさんの言いたいことはとてもよくわかるし、逆に彼がどうしてそこまで頑ななのかは、ちょっと疑問ですよね。正統なものを守りたいなら、私だったら自分の考えを示しながら『ほかの人の演奏も聴いてね』『いろいろな弾き方があるよ』ってやんわり書くかなぁ。あんまりバトルっぽくしたくないですし。とにかく、彼が言う本物を伝えたいってことなら、ほかの演奏を聴いてもらう方へ誘導するのがいいんでしょうから、そこは根気強くやさしく書くべきですよね。うん、単に、書き方の問題かもしれませんね」
「確かに、そうなのかも。ただ、私はいろいろ聴いたうえでの健人さん推しだったので、向こうも大上段に構えてきたのかな。だからって、あんな大層な議論吹っかけなくてもねぇ。こっちはただ、彼の演奏が好きっていう感覚を否定しないでほしかっただけなのに」
「えぇ、よくわります」と私が言うと、サキさんはにわかに熱を帯びたように続けた。
「それに、自分が守る守るって言ってるけど、素人が言う前に、プロの批評家とか演奏家とか、そう思ってる人はいっぱいいるわけでしょう。任せておけばいいんですよ。今までだってそうやって守られて、クラシックはクラシックとして生き残ってきたんだから」
「ですよね。批評家が健人さんを取り上げないって言ってましたけど、批判もしないってことは、それはそれとして割り切ってるのかもしれませんね」
「そうですよ。それを素人がやいのやいの、何様かと思ったわ。まあ、自分も素人なんだけど」とサキさんは笑った。
話が盛り上がったついでに、私はすべきかどうか迷っていた質問をぶつけてみることにした。
「もし、ですよ、もし桜庭健人さんが若くて、何かのコンクールに出て今の演奏したら、どうなると思いますか?」
サキさんは、ふっと我に返ったようにわずかに目を見開いて沈黙した。それからおもむろに口を開いた。
「たぶん、上位には入らないでしょうね。そういうところでは、権威は守られてるんでしょうから。でも、もしかしたらギリギリ入賞とかはあるかも。で、もし健人さんを強く推す審査員がいたら、それこそ審査の席でバトルが起きるかもね」
***
結局、採用されたらテンション上がると言っていたサキさんに応えることはできなかった。
うちの作家先生は、執筆にパソコンは使うが、インターネットはあまりしない。ましてブログだのコメントだのは、実感を持って理解できる世界ではなかったようだ。私としては、先生にいま風のテーマにも切り込んでみてもらいたかったのだけれど。
さておき、あのブログ、本当はサキさんの最後のコメントにも、こんな返信がついていた。
「桜庭氏がこれ以上の議論を望んでるかどうかは知りませんが、作曲家の側はあなたが理解してくれないことを嘆いてるかもしれませんね(笑)。
でも、このやり取り、私は楽しかったですよ。よかったら、また読みにきてください。ありがとうございました」
サキさんに返信が書かれてるか訊かれた時、後半部分は伝えてもよいかと一瞬迷ったが、前半部分が、せっかくおさまっている怒りを呼び覚ますかもしれないと躊躇した。まさに、書き方の問題なのだ。性格と言ってもいいかもしれないが。
いずれにしても彼の論拠は、建前は作曲家の意向ということらしい。
——演奏家を背負ったサキさんと、作曲家を背負ったクラオタ氏の闘い。
私は「代理戦争」というタイトルを付けて、この話を保存した。
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