case4. 代理戦争(9)

 実は私は、そんなに桜庭健人に詳しいわけではないので、かなり客観的な立場で話を聞けていた。そして、サキさんの気持ちもわかるが、このクラオタなる男性もなかなか面白いことを言ってくるなと感心しないでもなかった。手を替え品を替え、いやらしいほどの正論で攻めてくる。バトルするにあたっては、「相手にとって不足はない」と言えるのではないか。


 そんなわけで、彼女の話を聞きながら、私は半ば楽しんでもいた。


「で、それには何て返したんですか?」と私は訊いた。

「何だったかな。あとでブログの実物を見てもらってもいいんですけど、替え歌の話なんてしてないとか書いたと思うけど。ほんと、噛み合わないんですよ」


 私はもう一度画面を開いて、そのくだりを見つけた。

「さらに、それに対するクラオタさんの答えは…『クラシックの場合は、もう作曲家の意向は聞けないんです。だからって、作品を自由に変えていくべきではない。逆に、後世の私たちが守るべきなんです』……」と私が読み上げると、サキさんは突然思い出したように「そのあと『クラシックの番人』発言ですよね!?」と大きな声で言った。


「そうですね。『私は微力ながら、番人としてクラシックを守り、本物のよさを少しでも多くの人に伝えたいと思っています』となってます」


サキさんはクスクス笑いながら言った。

「すごい自信ですよね。クラシックの番人って…なかなか言えないと思うわ」


 確かに、と私も笑った。サキさんが可笑しそうに続ける。

「しょせん、素人同士じゃないですか。それを、お互いに何とか相手の上を行こうと必死になって、気づいたらこっちも偉そうなことを書こうって考えてて、なんだぁ”同じ穴のむじな”じゃんって思えてきて。こんなの、本当に演奏とか評論のプロの人から見たらどうなんだろうって、恥ずかしくなっちゃいましたよ。もうさんざんやったあとだったけど、急に、この人と同類になりたくない! って」


「う〜ん、内容をよく読めば、どっちかに賛同できるのかもしれませんけど、コメント欄でずっと同じ人同士がバトルしてるのを通りすがりに見かけただけだと、ぱっと見で『どっちもどっちなんだろうな』って第三者は思いがちですよね」と、私はふだん感じている一般的な印象を言った。


 すると、サキさんは「うぁ、いやだ。まあ、私は自業自得だけど、そんなふうにネットにバカみたいなバトルをさらすことで、どんどん健人さんを貶めてしまってるって気づいて、それが本当に申し訳なかったな」と、この日一番のしおらしい様子で言った。


 私はそろそろ話のまとめ時かと思い、このバトルに名前を付けるとしたら何だろうと考えながら最後の質問をした。


「サキさんは健人さんのために闘ったんですよね。あちらは自称『クラシックの番人』ってことですが、結局、彼は何のために闘ってたってことなんですかね?」


「何のため。う〜ん、一言では難しいけど」とサキさんは壁をにらみながら少し考え、言葉を選ぶように言った。

「作曲家を楯に取って、自分基準のクラシックの権威を振りかざしてるって感じなんですよねぇ。それが『正義』であるかのように。もっと単純に言うと、”こんなにクラシックをよくわかってる自分”アピールかな。作曲家が、作曲家が…とは言うんだけど、結局は自分の権威づけのためっていうか、自分の価値観に絶対の自信があって、それを認めさせたくて押しつけてるというのか」


「なるほど」と私は頷いた。


 私がメモを取る間、沈黙が続いた。

 サキさんはストローでアイスコーヒーの氷をつついている。私のペンが止まると、サキさんが呟いた。

「やっぱりあのブログ、まだ続いてるんですね」

「そう…でしたね」と私は答えた。


「アイツがまだネット上で幅を利かせてるってのは気に入らないけど、やめさせる方法がないもんなぁ。またコメント書いても火に油を注ぐだけで、もっと健人さんがさらし者になっちゃうしね、それが一番イヤなんですよね。本当は今までのコメントも消したいくらいなのに」


「行き過ぎたおかしな人だと思って、もう放っておくしかないんじゃないですかね」と言いながら、私はメモ帳を片付け始めた。


 サキさんは急にこちらに向き直って言った。

「ねえ村下さん、この話、客観的にどう思いました? アイツの言ってること、やっぱり正しいですかね? それとも、私がおかしいの?」

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