case4. 代理戦争(8)
その後、彼のある言葉がサキを貫いた。ブログ主に同意するなど本意ではなかったが、結局はその言葉によって、サキはバトルをやめることにした。
「ここまでおつきあいいただき、ありがとうございました。わかり合えないことは残念でしたが、これ以上の議論は健人さんも望んでないと思います。これで最後にします。どうぞ、これからもクラオタさんのやり方でクラシックを楽しんでください」
このコメントを最後に、サキが再びそのブログを開くことはなかった。
***
ここまで話して、サキさんは「はぁ」とため息をついた。
専門的な話も多く、聞きながら私は必死に細かいメモを取っていた。言われたところまでを書き取ってから、サキさんに訊いた。
「それで結局、その男性のどんな言葉にグサッときたんですか?」
サキさんは溶けた氷ですっかり薄くなったラテをストローで飲み干してから、観念したように言った。
「その人から見たら、私たちみたいなファンって、健人さんの演奏よりも、”桜庭健人”という流行を消費してるように感じるんだって。演奏そのものよりも、それを含めた彼の人生自体をドラマみたいに見て楽しんで、飽きたら捨てるんだろうって」
「なるほど」と、私は感心してつぶやいた。
「あ、もちろん、私はそんなことしないって自信ありますよ。でも、ほかのファンはどうかな。つまり本来は、演奏が本当によければ、音源という形でも名盤のように残っていくんですけど、本当にクラシックファンじゃない人は、熱狂が冷めたらCDもリサイクルに売っちゃうかもしれないですよね。そして、健人さんのコーナーだけいつも在庫がダブついてるみたいな」
そう言って、サキさんは皮肉っぽく笑ってから続けた。
「最初の方で言いましたけど、私もこんなコメントやり取りする前に、健人さんってプロのピアニストとして復活して幸せなのかなぁってちょっと思ったりしてたじゃないですか。それもあって、健人さんがこんなところで素人同士の不毛な闘いのネタにされてることが、なんだか哀れに思えてきちゃって。クラオタが同じふうに感じてたとしたらなんだか悔しいんだけど、おかげで闘いは終わりました」
私はサキさんに、新しいドリンクを注文するよう促した。
「すみません、じゃあ遠慮なく。しゃべってたらのど乾いちゃって」と言ってサキさんが席を立ったあと、私はふと思いついて、携帯で件のサイトを検索してみた。
それはすぐに見つかり、不定期ながら更新もされてるようだった。
サキさんが戻ってきて、席に着いた。
私は該当すると思われる記事のコメント欄を開きながら、サキさんに訊いた。
「ごめんなさい、実は今、ブログを開いてみたんですけど、見ますか?」
サキさんは少しびっくりして「んー」と迷ったふうに首を傾げたが、「やめときます」と言った。そして、「あ、でも一つだけ、確認してもらえます? 私の最後のコメントに、返事ついてるかどうか」と言った。
私は画面をスクロールして、最後まで見てみた。
「どうやら、ついてないみたいです」
「ははは」とサキさんは笑って、「てことは、この闘いは引き分け、ですかね?」と言った。
「そうなりますかね」と私は同意した。
サキさんが続ける。
「もうアイツのことは忘れてたくらいで、今さらどうでもいいんですけど、私、このネタ提供を思いついてから、向こうがコメントで書いてよこしたことをなるべくたくさんお伝えしたくて、一生懸命記憶から引っ張り出してメモしてきたんですよ」
そう言いながら、サキさんはバッグから4つに折り畳んだコピー用紙を取り出した。そして、「まだお伝えしてないのは……」と呟きながら、ざっと目を通す。
「そうそう、まだこれがあった。ちょっと読みますよ。『著作権が残ってる歌の替え歌を作る時は、権利者に許可を取らなくちゃならない。音楽の世界はそれくらいオリジナルというものが厳格に守られる世界だ』って。誰が替え歌作るって言ったのよ〜って笑っちゃいましたけど。あぁ言えばこう言うって感じで、キリがないなぁって呆れましたよ」
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