case4. 代理戦争(2)
復活コンサートの夜、聴衆はみな一様に、彼のたたずまいと彼が紡ぎ出す音色に心奪われ、会場は静かな感動の涙ののち、熱狂に包まれた。鳴り止まない喝采。アンコールも三曲に及んだ。
翌日からサキは、ネットで健人のことを検索しまくった。日本人の父とドイツ人の母を持ち、子供のころからヨーロッパの某国に留学、十九歳の時、縁あってある有名な映画監督の作品で主人公の演奏吹き替えを担当、映画もヒットしたことから注目を浴び、一躍、時の人となった。
そして数年間、世界中で華々しく演奏活動していたが、神経性の病気を患い、活動を休止。それから約二十年が経っていた。
最近は、知り合いから声がかかり、老人ホームや病院など、地域でボランティアとして演奏をするようになっていたのだが、それがたまたまマスコミ関係者の知るところとなり、新聞の地方版に紹介記事が載った。そして、この手のネタを利用して一儲けしようと企む者が必ず出てくる。もともとのネームバリューがあったせいで、表舞台に引っ張り出されることになるまで、そう時間はかからなかったようだ。
一種のタレントの扱いだった。プロパーな評論家も、復活した彼の演奏を専門誌などで取り上げることはほとんどなかった。確かに、ずっと現役で一流どころとして活躍しているピアニストの演奏と比べると、技術的にもほころびが感じられる部分があることは否めない。
が、サキはそれでもよかった。ふだん、素人評論家と自称するほど演奏にはうるさいのだが、技術云々以前に、彼のピアノにはほかの誰にもない、形容しがたい魅力があった。やさしく包み込むように歌ったかと思えば、狂おしいまでの情念をたぎらせる。聴く者は魂の奥底まで揺さぶられ、我を忘れるほど陶酔させられる。多少の技巧のほころびなどどこかへ吹き飛んで、ひたすらその快感に身を委ねたくなる。気づくと体が震えている、もはやそれはエクスタシーの領域だった。
その魅力がどこから来るのか。間違いなく、彼の人生そのものが演奏に現れているのだろうとサキは想像した。若くしてもてはやされ、栄華を極めた直後、抗いようのない運命に一度は挫折した。その半生が彼に人としての、そして演奏者としての厚みと深さを与えたのだ。
演奏は、彼そのものだ。
舞台の上の憂いを秘めた彼のたたずまい、彼の音の中にあるドラマに魅せられ、サキはすっかり虜になった。
仕事から帰ると毎晩のようにCDを流し、その世界に浸った。時には、インターネットで新しい関連情報を探し、書き込みのできるサイトを見つけると、すべてのコメントを読んだ。そこには彼のファンが溢れており、さまざまな言葉で彼の魅力が語られていた。そして、サキは深い共感を覚えながら、満足して眠りにつくのだった。
そんなある日のこと。
いつものように検索していると、今まで一度も引っかかって来なかったブログが挙がってきた。管理者はクラシック音楽好きの男性で、作曲家、演奏家、曲などについて、個人的な感想やウンチクを語っているものだった。そして最近、桜庭健人を取り上げたということで、初めて引っかかってきたようだ。
その投稿記事のタイトルを見て、サキは衝撃とともに激しい怒りを覚えた。
「桜庭健人の演奏は、作曲家と作品への冒涜だ!」
内容はざっと以下のようなものだった。
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