case4. 代理戦争(1)
「ネタを集めるって、やっぱり大変ですか?」
コーヒーチェーン店の奥まった席で、壁に向かって二人で並んで座ると、彼女は屈託ない調子で訊いてきた。
「えぇ、それなりには」
「村下さんは、秘書さん。で、ご自分でも小説を書くんですか? 修業のために、作家さんについてるんですか?」
「いえいえ。趣味でものを書くのは好きですけど、修業じゃないですよ。ただ、本が出来上がる現場の近くで働きたかったので」
「もしかして、作家崩れみたいな?」
32歳だという今日の取材相手の女性は、私に食いついて離れない。こういう時、下手にガードしてしまうと、そのあとがやりづらい。時間もたっぷりあることだし、なるべく親密な雰囲気を作っておくに越したことはないのだ。
「学校時代は憧れたこともありますけど、すぐに才能がないと自分でわかったので」
「そういうのって、どうやってわかるんだろう。もしかして、何かに応募したんですか?」
「まさか。何か書こうと思っても、書くことすらできなかったんですよ。ただ、小説を読むのが好きなだけだったんです」
「でも、読書が好きな人はいっぱいいるけど、必ずしもみんな自分で書こうと思わないじゃないですか。ちょっとでも書こうとしたことがあるってことは、やっぱり最初は書く自信があったんじゃないですか」
「自信……どうかな。もうずいぶん昔なんで忘れちゃいましたけど、なんとなく何かを『書く』のが好きだったっていうことかな」
オーダーの番号が呼ばれたところで、やっと話が途切れた。ドリンクと軽食を受け取って席に戻ると、今度は私が彼女に訊いた。
「小説に興味があるんですか」
「もちろん。じゃなきゃ、こんなことしません。あ、でも、私は自分が書くなんてことはまったく考えたことないです。ただ、小説家って、どうやってお話作ってるのかなとか、モデルはいるのかなとか、本を読んでるとそんなことを考えちゃいますね。裏側が気になるんですよ」
「裏側、ですか」
「えぇ。自分のネタが採用されたら、すごくテンション上がります! 今回、わざわざネタ、探しましたもん。何かなかったかな〜って、けっこう真剣に記憶を漁ったんですよ。で、そうだ、これはどうかな、って。わりと時代に合ってるんじゃないかと思うし」
「『ネット上で匿名で正義を振りかざす人について』ってことでしたね」
「えぇ、私の実体験です」
「さっそくお話、詳しく聞かせてもらっていいですか」
***
サキの趣味は音楽鑑賞である。サキは仮名、以下、人名はすべて仮名である。
サキの好みのジャンルは幅広く、家で音源を聴くだけではなく、コンサートにも積極的に出かける。特筆すべきは、そのジャンルにクラシック音楽が含まれることで、演奏家にも詳しい。数年前にはショパンコンクールの優勝者の演奏会のために、わざわざヨーロッパまで行ったほど、特にピアノ曲は好きだと言う。
ある時、サキはかつて天才と呼ばれた、あるピアニストの復活コンサートへ行った。病気で長い間、演奏から離れていた桜庭健人は、ほとんど忘れられた存在だった。実際、サキも知らなかった。が、四十を過ぎて、約二十年のブランクののち再び表舞台に立つという。それだけでもサキの興味をそそった。
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