case3. 人身御供(8)

 個室の中が、だんだん白っぽくなってきた。さっきから息苦しいのは、たばこのせいなのか、話のせいなのかわからなくなって、私は少し頭がクラクラしてきた。エリさんが続ける。

「持ち逃げはしてるんだけど、もともとの彼女はお金にきれいなイメージだったの。私と食事しておごってくれても、絶対に領収書をもらわなかった。公私をきっちり分けてて、全部ポケットマネーでしたから。ふつう、あの規模の会社の社長なら、ちょっとした個人的なものも何とか理由付けて経費にねじ込もうとするじゃないですか。そういうのがないのもカッコよくて、私も彼女に憧れたんですから」

「見栄っ張りで、そうやって気前よくして借金を作っちゃう人もいるってよく聞きますけどね」

「う〜ん、確かに。でも、そんな単純なことにも思えないんですよ。私の勘ですけど」とエリさんは言って、たばこをもみ消した。

「いずれにしても、お金の事情の部分はいくら想像したって、真相はわかりませんよね。それよりも私が気になるのは、社員が次々と辞めたことなんです」


 個室の戸がノックされた。向こうで「お茶を注ぎ足しましょうか」と店員の声がする。「お願いしまーす」とエリさんは慣れた感じで答えた。戸を開けて、二人にお茶を注いでくれる店員に「ランチ何時までだっけ?」と確認すると、終了までまだ一時間ほど余裕があることがわかった。ランチのあとは、夜営業まで一時閉店するらしい。


 店員が出て行くと「これは私の推測ですけど」とエリさんは話を再開した。「社長が社員を辞めさせようとしてたんだとして、その方法が『精神的に追い詰める』ってことだったとしたら、すごく遠回りな方法だと思いません?」

「そうですね。結局、三人? パートさんも入れたら四人ですか。確かに、労力も時間もかけ過ぎですよね」

「そこです。目的がそうだとして、普通の人はあそこまで徹底してそんなことやり続けられないと思うんですよ。だから、私、実はいじめること自体が目的だったんじゃないかなって」

「え? 何の目的? それで辞められたら、仕事も困りますよね」

「だから、最終的にはそれで会社を潰してもいいと思っていたのかもしれない。それで、いじめて楽しんでたのかなって」

「ん〜。よくわからないです。そんな人、います?」と、私は首を傾げた。エリさんはお茶を飲んでから姿勢を正し、まっすぐこちらを見て語り出した。

「一種のサイコパスですよ。これも私の個人的な感触だけど、そんな気がします」

 思いがけない言葉に、私はゴクリとつばを飲んだ。

「何かの拍子でいじめてしまうとか、ストレスを発散するのに無意識に誰かにあたるとか、そういう単純ないじめと違うんじゃないかな。ましてや、今はやりのパワハラともちょっと違う。まあ、あれの定義もいろいろだから一概に言えないけど。田中社長の場合、時々激しく怒って、そのあとやさしくなるんです。手は出してなかったようだけど、それってDVする人みたいじゃないですか?」

「なるほど。そう言われてみれば、そうですね」

「しかも、たいてい密室だったでしょう。仕事を隠れ蓑にして、指導するようなふりして。それで、社員はやってもやっても突き返されてやり直しの繰り返しで、先が見えなくなって、まいってしまう。なので、時々やさしくする。単にいじめ倒すというより、服従させて支配したいと言ったらいいのか。いずれにしてもストレス云々というより、そうすること自体に何か快感があったんじゃないかな」

「う〜ん」。驚きのあまり唸りながらも、私も何とか理解しようとした。「つまり、相手は誰でもいいっていう、通り魔みたいな?」

「そういう意味ではね。一人選んで、辞めたらまた次のターゲットを定める。その一人は誰でもよかったんでしょうね」

「背景はなんですか? 動機というか。単なるストレスじゃないとして、経営者としての不安? それとも、自分の権力を確かめたいとか? それとも……」

「サイコパスに理由なんてあるのかしら。もし深層心理に何かあるとしても、ほかの人にはわからないですよね。一般論でしか」

 私はさっきから背中に冷たいものを感じながら、エリさんを凝視していた。ドラマや時事ニュースなどでも、最近はパワハラという言葉をよく聞くが、確かにそれとは違う印象を受ける。

「そういう人が現れたら、どうしたらいいんでしょうかね」と、おかしな質問だとわかっていながら訊かずにいられない。

「気づいたら、逃げるしかないでしょうね。一番いいのは、出会わないことでしょうけど、そういう運命的な部分はコントロールできませんもんね」と、エリさんは力なく微笑んだ。

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