case3. 人身御供(7)

 数日後、また電話をかけてきたケイコからエリが聞かされたのは、「また今度」の続きではなく、驚くべき内容だった。


「社長が消えたの! 森山くんが、会社のお金もなくなってる、って」


 その前日の朝、田中は出勤してなかったという。もちろん社長たるもの重役出勤も許されるし、商談先へ直行することもよくあったので、誰も気にしていなかった。しかし、終業間際にかかってきた一本の電話から事態は急展開した。

 森山が電話を取ると、相手は馴染みの取引先の経理担当だった。

「今日、御社のお支払日だったはずですが、入金確認できてないんです。明日になるのでしょうか」

 その時点でも、田中はまだ不在だった。経理のパートが辞めてから、会計は税理士事務所に丸投げし、口座の管理や支払いは田中が自らやっていた。確認して折り返すと告げて電話を切ると、森山は田中の携帯を呼び出した。しかし、何度かけても「電源が切れているか、電波が……」と流れるだけで、つながる気配はなかった。

 振り込みがたまたま15時を過ぎてしまって、明日の取り扱いになってるのかもしれない。そう考えた森山は、確認するためネットバンキングの画面を起動させた。しかし、パスワードが変えられていてログインできない。「明日、弊社の田中からご連絡させます」と先方には謝って、その日はいったんおさめた。


 翌日、つまりその日の朝も、田中は出社して来なかった。携帯も相変わらずつながらない。森山があらゆる身分証明書やら何やらを携えて銀行へ出向き、口座を調べてもらうと、振り込みの予約どころか残高がほぼゼロであることが判明した。


 そして、青くなって戻ってきた森山から一部始終を聞いたケイコは、エリに電話をかけたというわけだ。

「まさかとは思うけど、エリ、社長の行き先とか知らないよね」

 もちろん、エリが知るわけもなかった。


***


「その後、森山さんとケイコは二人であちこち奔走して、何とか取引先と話を付けてコトを収めたんですけど、森山さんは役員だったので大変だったみたいです。自分の貯金も叩いたし、残ってくれた顧客の仕事を一手に引き受けて頑張って、最終的には負債も返したって聞きました。ケイコは直後はフリーになって森山さんから仕事を請け負って協力してたんですけど、今はもうやめて、小さいスーパーに勤めてポップ作ったりしてます」


 話の展開にやや興奮気味だった私は、店のサービスの番茶でのどを潤してから訊いた。

「で、田中社長はどうなったんですか」

「結局、雲隠れっていうか、誰に訊いても行方がわからなかったそうです。それでもいつだったか、どこかのゴルフ場で似た人を見たっていう噂だけはあったみたいですけど、それも定かじゃないらしくて」


 少しの沈黙ののち、エリさんは「ごめんなさい、一本だけいいかしら」とたばこの箱を見せた。イヤだとも言えず、私は頷いた。

 煙をなるべく上に向けて吐き出しながら、エリさんは何か考えている様子だった。天井近くの棚の上で、空気清浄機が小さく唸りをあげている。


「私も本当にわかんなかったんですよ。あの社長が何だったのか。こうなってみて、最初はゾッとするばかりで、あまり思い出したくもなかったんですけどね。あとから考えると、疑問だらけですよね」

「経営が苦しくて、社員を一人ずつ追い出して、会社を畳みたかったのかしら。で、エリさんは、そのために社長が社員をんじゃないかと思ったってことですよね?」

「というか、資金繰りが悪いなら正直にそう言って、社員の行き先を世話して、普通に廃業すればよくないですか?」

「ですよねぇ。お金を持ち逃げしてるってことは、自分がお金に困っていたんでしょうかね。てことは、もし本当に会社が経営難になっていたんだとしたら、それもそもそもは自分が私的流用してたせいだった、とか?」

「それはあり得ますね。じゃなければ、普通に金策したりすればいいんですもん。それこそ、社長個人が会社に資金を貸し付けてもいいんだから」

「自分がお金に困って流用して、さらにどうにもならなくなって社員を追い出して廃業しようとして、完遂する前に雲隠れ…ですか」

「えぇ、でも、なんかしっくり来ないでしょう?」。そう言って、エリさんは思いっ切りたばこを吸い込んだ。

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