case3. 人身御供(6)

 その日の夜、帰途についたケイコは、道すがらエリに電話をかけた。

「……というわけなのよ。高橋さん、本当に辞めるかも」

「ケイコ、それ、ヘンだよ。高橋さん、本当に連絡受けてないんじゃない?」

「え?」。ケイコは電柱の横で立ち止まった。

「ちょっと待って。どういうこと? 社長が連絡ミスして、それを高橋さんのせいにしてるってこと? 」

「というよりも…もしかすると、山下さんもそんな感じで辞めたんじゃないの? きっと、同じパターンだよ」

「いや、山下さんは実家の都合でしょう!?」


 混乱したケイコは「ちょっと、いったん切るね」と電話を切って、すぐに森山の携帯を呼び出した。

「もしもし、例の○○社の件、待ち合わせに高橋さん来なかったヤツ、森山くんは社長から日時とかの連絡もらったの?」

「なんすか、いきなり〜。そうですけど?」

「で? 高橋さんには誰が連絡したの?」

「俺は何も知らないっす。そもそも彼女が来るって、知らなかったし」


 ケイコは、電柱の横で動けなくなっていた。そんなことがあるだろうか? あの田中社長が自分のミスを隠すために、社員を追い詰めるようなことをするなんて、そんなこと、あるはずない。


 それ以来、ケイコは会社にいてもどこかソワソワとして、仕事に身が入らなかった。高橋が社長室に呼ばれることがあると、近くの打ち合わせコーナーに休憩のふりをして座り、耳をそばだてて中の様子を伺うようになった。そして、田中がたびたび声を荒げるのを何度か聞いた。

 高橋が部屋から出てくると、ケイコは携帯をチェックするふりをしてごまかすのだが、そもそもそんな必要がないほど高橋の目はうつろで、まったく生気がなかった。


 そんな彼女の様子を見るにつけ、いつしかケイコは、少しの優越感を感じるようになっていった。社長の意に添わず怒られているのは高橋で、私は安泰だ。時には、自分は彼女より仕事ができるのだと根拠のない自信を感じ、何かあったら私ががんばるんだと闘志さえ燃やした。社長も、高橋の仕事ぶりが思わしくないことにストレスが溜まり、ちょっとおかしくなっているだけかもしれない。なんなら、私がやりますと自分から申し出ようか。その方が、みんなのために、会社のためになるかもしれない。社長に頼られる存在になり、私がこのおかしな状況を救うんだ。

 ケイコはそんな妄想を抱く自分に気づいて、苦笑いした。自分に、多少なりとも野心のようなものがあったことも驚きだった。

 とにかく、社長の今のストレスのもとは高橋だ。ならば、そのイライラの矛先が高橋に向く分にはしかたがないではないか。他の人がとばっちりを受けるよりかはいいだろう。ましてや、仕事で期待に応えてもらえないことがあまりに続けば、怒りたくもなるだろう。社長だって、人間なのだから。

 そう思うと、ケイコはすべてが腑に落ちた気がした。しばらく様子を見ながら、会社や仕事の今後をどうするのか自分なりに考えておこう。ちょうど、業界の勉強会の講師役もお役御免になって、さらに余裕ができたところでもあった。


 ところが、思ったより早く、本当に高橋が辞めることになった。例の仕事は、まだ納まっていなかった。


 ケイコは近くのコンビニに行くふりをして会社を出て、すぐにエリに電話をかけた。

「やっぱり、高橋さん辞めることになったわ。社長も大変だよね。私、代わりにやりますって言おうかなと思って」

「ケイコ、やめな。私、それ、けっこうマズい状況だと思う。やっぱり、なんかおかしいよ」

「なんで? だって、じゃあ、その仕事はどうすんの?」

「それはわかんないけど……でも、自分からやるって言わない方がいいよ。説明しづらいけど、これは私の勘。場合によっては、ケイコも会社、辞めた方がいいかもしんない」

「ちょっと待ってよ。少なくとも、私は同じようにはならないよ。わかってると思うけど、けっこう神経太いから。それより、その仕事がどんなもんか、ちょっと見てみたい気もするしさ」

「あのね、たぶん、そんな特別変わったもんじゃない、普通の仕事だと思うよ。メンドくさくしてるのは、田中社長なんじゃないかと私は思う」

「なんでわかるのよ」

「逆に、なんでわかんないのよ、ケイコは」

「何よ、それ。まあ、話はまた今度ね。もう会社戻らないといけないから」

 エリが応える間もなく電話は切れた。

 そして結局、「また今度」と言われた話の続きがなされることはなかった。

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