case3. 人身御供(1)

 よく晴れた土曜日だった。やっと少し暑さが和らぎ、風にもそろそろ秋の気配が混じり始めていた。


 その日会うはずの女性は、サイトに書き込んできた文章がとてもうまかった。

 ネタ提供の希望者は、所定のフォームにメールアドレス、性別、年齢、そしてネタの概略を記して送信する。彼女の書き込みは要点がわかりやすく、語り口も感じがよかった。きっと、直接話してても楽しいだろう。内容がシリアスであってもだ。


 取材場所は、彼女が指定した定食屋だった。知り合いがやっている店だという。「個室の小上がりを空けてもらいました」と言っていた。

 私が着いて引き戸を開けると、先に来ていた彼女は慌ててタバコを消し、周りの空気を払うように何度か手を上下させた。「ここしか吸えるところがなくて…ごめんなさい。何度も禁煙に失敗してて」と肩をすくめる。四十一歳と聞いていたが、思ったより年齢が上に見えた。


 席に着くと私の仕事について興味津々でいくつか質問を浴びせてきたが、ランチの注文を済ませたのを合図のようにして、本題へ移ってくれた。


***


 十年くらい前に始まり、そこから五年くらいの間に起こったことだという。彼女を仮にエリとする。以下、文中はすべて仮名である。


 エリは、イベント会社で企画を担当している。自分の仕事に必要な制作物——プログラムやチラシ、ポスターなど——は、いつも同じ業者に外注しているという。そこの担当者のケイコはエリと同世代の女性で、いっしょに仕事をする回数が増えるにつれ、自ずと個人的な話もするようになっていた。エリが打ち合わせに出向き、終わったあとにケイコの仕事上がりまでそこで待ち、いっしょに飲みに繰り出すなどということも珍しくなくなっていった。

 ケイコを待ちながら一人で打ち合わせコーナーに座っているうち、エリはほかの社員とも顔なじみになっていき、ある日、若い社員と世間話をしていると、その会社の社長が通りかかった。


 五十代の、いかにもやり手といった感じの女性だ。若い社員がエリを簡単に紹介してくれた。

「ケイコさんには、いつもお世話になっております」

 エリは先方にとってお得意様の立場なのだが、威厳のある相手のたたずまいにすっかり恐縮しながら言った。すると、社長は「お時間よかったら、少し話しましょうよ」とエリを社長室に通したのだった。


 前から会ってみたいと思っていたエリは、不意な申し出に驚きながらも内心喜んだ。部屋に入るとあらためて名刺を出してあいさつした。

「いつもお世話になっております」

「こちらこそ、いつもありがとうございます。ケイコはお役に立ってますか?」

 社長もエリに名刺を渡し、応接セットに腰を落ち着けながらにこやかに言った。名刺には田中、とある。声がハスキーなのが印象的だ。

「もちろんです。彼女のイラストはうちの社内でも評判がいいですし、仕事もテキパキとしてて、適確で、いつも助かっています」

「そう。それはよかった」

 田中は「いい?」というようにエリをうかがってから、たばこに火をつけた。

「今はね、もう、自宅とこの部屋しか吸えるところないからね」

 気持ちよさそうに煙を吐き出しながら、田中は目を細めた。エリも「では、私も失礼して、いいですか?」と断ってから一服させてもらった。その場は一気にリラックスムードに包まれた。


 しばらく談笑しているとドアがノックされ、ケイコが入ってきた。二人が飲みに繰り出すと知ると、田中は「あら、私もいいかしら」と同行を打診してきた。ケイコがエリの反応を窺うより早く、「ぜひ! 私も社長ともっとお話したいです!」とエリは快諾した。


 こうしてエリと田中の間でも、プライベートなつきあいが始まったのだった。

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