case2. たった一度の嘘(4)

 私は返事に詰まった。すぐに思い出せる大きな嘘は見つけられなかった。

「ほら、ないですよね? 常に心に引っかかって、悩んでしまうような大きな嘘って、そうそうみんなついてないですよ」

 デザートのアイスクリームは溶けて輪郭を失い始めていた。でも、英子さんはそれには目もくれず、どこかくうを見つめているようだった。

「私、最初に『嘘ついたことない』って言ったじゃないですか。一年前に思い出すまでは、本当にそういう意識で生きてたんです。まるで、心のどこかでは実はあのことを忘れてなくて、それを打ち消したいがためにわざわざ『嘘ついたことない』なんていう嘘を、自分につき続けていたみたいじゃないですか」

 私はもう、何か異論を挟んで彼女を慰めることを諦めた。彼女は自分でわかっていて、私に何かを言ってほしいわけではないのだ。ただ、わかっていることを、誰かの前で確認したいだけなのだ。


「結局、私、嘘つきなんです。人を傷つけるような大嘘をついたことがあるくせに、さらに『嘘ついたことない』っていう嘘をずっとつき続けてきたんです。それがよけいに自分で腹立たしいんです」

 何も言わない私を見て、彼女は小さく笑った。「ごめんなさい、初対面の人の前で、なんか私一人で怒ってますよね」


 それから英子さんは、ほとんど溶けてしまったアイスクリームをすくって食べ始めた。最後に、皿に流れてしまったクリームをフルーツで拭うと、それを一気に口に押し込んだ。そして、ちょっといたずらっぽい笑みを浮かべながらこう言った。

「ついでに、もっとひどいこと言っていいですか。今日は私、自分のことをとことんこういうヤツなんだって思いたい気分なんです」

「何でもどうぞ」と、私はこたえた。

「私が今、願っていること、わかります? ほんと、ひどいんですよ、私って」

「さあ、何でしょう?」と私は首を傾げた。

「私、今まで忘れていたのに、一年前に思い出して、あの時よりももっとひどく自分で自分の嘘に傷ついた。そんな言い方ヘンかもしれませんけど、本当なんです。で、その時ふと思ったのは、だったら今の和子が思い出したらどうだろう? ってことなわけですよ。きっと和子はもっと、私の嘘に傷つきますよね? そして私のこと、憎みますよね?」

 難しい質問だった。本を正せば、和子さんがどういう理由からか、盗みのようなことをしたところから問題は始まっているわけだ。もちろん、英子さんがない罪をつけ加えてしまったことはいけないことだったが、その前にまずは和子さんが自分のしたことを大人としてどう受け止めるのか。そして、さらに何か思うとしたら、罪がつけ加えられたこと自体よりも、嘘をついたということをどう捉えるかにもよるだろう。当時の和子さんは激しく泣き出したということだが、それはどういう涙だったのだろう。怒り? 悲しみ? 憎しみ?


 私にはすぐに答えは出せなかった。そもそも事件が起きる前の和子さんは、英子さんのことをどう思っていたのか。そして、その後、まったく話題にせず和解したことを、私は無邪気な子供たちというイメージで聞いていたが、子供ながらにも和子さんの中には何か深い思いがあったのかもしれない。

 私はそんなふうに逡巡しながら、思いつくままポツポツと言葉が出るに任せた。


「私も卒業以来、和子とは会ってないし、今さらあわせる顔もないです。だからもう、彼女がどう思ってたか、私が知ることはできないですよね」

 穏やかな感じの最初の英子さんに戻って、彼女は静かにそう言った。

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