case2. たった一度の嘘(1)
先ごろちょうど三十歳になったばかりだという女性が、私の前に座っている。
美人というのではないが、やさしさをそのまま形にしたような人と言えばいいか。小さめながら、笑うと三日月型になる目がかわいらしい。体型はぽっちゃりめ。話し方は穏やかで、声はやや小さい。まるで、彼女の控えめな性格を表しているようだ。
何が言いたいかというと、彼女の発した突拍子もない第一声にも、「この人なら、そういうこともあるかもしれない」と納得させられるような雰囲気を彼女が持っている、ということだ。
***
「私、これまでの人生で嘘をついたことがないんです」
お話、ちょうだいいたしますと私が言うと、第一声がこれだった。
「一度も??」
「他愛のない嘘ならあるかもしれません。宿題終わってないのに終わったとか、そんな感じの」
「では、嘘をついたことがないとおっしゃった真意は、どういった…?」
「人を傷つけるような大きな嘘を、故意についたことはない、といいますか…」
昼下がりの喫茶店は混雑のピークが終わりかけており、数組しか客がいなかった。私たちはランチを頼んで、食べながらの取材となっていた。彼女はサンドイッチを一口食べて、残りを皿に戻しながら言った。
「あ、ごめんなさい。それじゃあ、今回のお話にならないですね。正確には、今日お話する内容を除いては、ということです。つまり、その時の嘘がなければ、私は自信を持って『嘘をついたことがない』と言えたのに。それくらい、この嘘が私にとって唯一の…汚点というか。自分でもどう言えばいいのか、よくわからないんですが…」
彼女の話はこうだ。
仮に英子としよう。以下、文中の名前はすべて仮名である。
英子が小学校五年生の時だった。同級生の和子が、ほかの子の物を取ったり隠したりする、ということが問題になった。担任教師はあまり大っぴらにはせず、ふだん、和子と仲良くしているグループの三人を会議室に呼んだ。持ち物がなくなったと最初に言ったのは、そのグループの女子だったからだ。
教師はていねいに事情を聞き取った。児童Aは、お気に入りのハンカチがなくなり、和子のカバンに入っているのを発見し、ケンカになったという。和子が、自分は盗ってないと言い張ったからだ。児童Bは、蛍光ペンがなくなり、やはり和子の筆箱に入っているのを見たという。同じ物を買ったのかと思ったが、Aの話を聞いて、疑いを持ったという。
最後に、英子が発言する番になった。しかし、そもそも英子は何もなくなった物はなかった。ただ、そのグループに属しているということで呼ばれ、あまり深く考えずについてきたのだった。
「英子さん、あなたは?」と教師が訊いた。
教師、AとBの三人の視線が一斉に英子に注がれていた。
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