04. 出会い

 初雪でも降りそうな夜だからこそ、布団に篭る熱がいつもより優しく感じられる。

 人肌をほんの少し上回る温かさに導かれて、私は夢うつつを彷徨さまよった。


 お婆ちゃんに聞かされた話がよみがえる。

 暖房も不十分だった昔は、湯タンポという器具があったらしい。

 お湯を入れた容器を寝床に忍ばせておくと、明け方まで冷めずに暖気を保ってくれたとか。


 実物を知らなくても、いや、見たことが無いから余計に、お婆ちゃんの説明はいにしえの魔法の如く響いた。

 まだ幼稚園の頃だからね。エアコンより、ストーブより、ずっと神秘的に思えたんだ。


 湯タンポの魔法は、確かにその時の私を包んでくれていた。

 心地好い思い出に筋肉を弛緩させて、緩やかに眠りに落ちる。きっと朝までぐっすりと、安眠を楽しんだことだろう。

 その湯タンポが、身動みじろぎしなければ。


 右の二の腕を軽く押されて、意識が現実へ引き戻される。

 湯タンポは、モゾモゾと動いたりしない。何よりも、布団の中にいるのは、縦縞のパジャマを着た私だけだ。


 寝惚けて勘違いしたんだと、体を強張らせて数瞬を過ごす。

 自分の心臓が、うるさいくらいに鼓動を早めた。熱いんだか、寒いんだか、感覚が麻痺している癖に、目と耳は冴えていく。


 これが金縛り――紗代を怖がらせるのに何度もネタにした怪奇現象を、自分が味わうことになろうとは。

 しかし、何秒待とうが、新たな刺激は感じられない。

 やはり気のせいだと平常心を取り戻しかけた瞬間、を聞いた。


「ぎゅいっ」


 全力だ。全身全霊を以って、上布団をまくり飛ばす。

 体が言うことを聞いてくれたことに感謝しつつ、ベッドから転がり落ちるように床へ逃げた。


 派手にぶつけた肘を摩りながら、ベッドの上に目を凝らす。

 常夜灯の弱い光でも、異物の存在を見間違えたりはしない。暖色に照らされた塊は、ちょうど猫ほどの大きさだ。

 自分へ向けられた鋭い光点が二つ、これも夜に出くわした野良猫に似ていた。


「なんで……猫が……?」

「ぎゅいぎゅい?」

「ひっ」


 猫如きに悲鳴を上げても、恥ずかしいとは思わない。

 夜道ならともかく、自室のベッドにいたらおかしいじゃん!

 いきなり! 猫が!


「ネコじゃないよ」

「ひいぃっ、しゃべ、しゃべっ!」

「そこまで驚かないでよ。喋るくらいするって。ネコじゃないんだから」


 物怪もののけ、妖魔、深遠からの来訪者――今まで私の作り話に登場した異形たちが、ハロウィンパレードさながらに頭の中を駆け巡る。

 一体、何者が私の日常に侵入してきたのか。私は何に見入られたというのか?

 ありったけの気力を掻き集めて、闇に光る目へ問い質した。


「猫じゃないなら、何? わ、私に何の用?」

「ぎゅいえっ」


 奇声にたじろぎ、口を閉ざして対峙する相手を凝視する。

 最初は身体を丸めていたようで、四つ脚でシーツの上に立ち、首をこちらへ向けたそれ・・は、猫より長い胴と尻尾を持っていた。


「あー、ボクは。いや、ワレはキューセーシュなり」

「キューセー……、救世主?」

「そう、それ。助けに来たの。あっ、ぎゅいえっ」


 この奇妙な発声は、どうも咳払いのつもりらしい。

 口調を改めてて、今一度、謎の猫もどきは宣言する。


「ワレは助けに来たノダ。アヤのピンチを救うために」

「えーっと。ピンチ?」

「このままでは大変なことに……。あのさ」

「は、はいっ」


 調子の狂う話しぶりだが、暗がりできらめく眼は未だに禍々まがまがしい。

 思わず居住まいを正し、続く言葉を待つ。


「寒いんだけど」

「は?」


 曰く、尻尾の先が冷えてきた。布団は素晴らしい。私は寝てしまっていたし、話は明日でいいだろうと、暖を取ることにした。

 ああ、睡眠って素敵。ぎゅいぎゅいしそう。綿の適度な重みと、全身を撫でる温もりで、当初の目的を忘れちゃう――。


「忘れちゃダメでしょ!」

「怒鳴らないでよ。アヤちゃんだって眠いでしょ?」

「もうパッチリ目が醒めちゃったよ……」


 とぼけた会話のお蔭で、不気味さは遠退いた。

 だからって、理解不能な事態には変わりなく、妖怪と一緒に寝られるほど豪気じゃない。

 とりあえず寝よう、そんな提案に乗るもんか。これをそのまま口にした途端、ぎゅいぃっと喉を鳴らされた。

 確信は無いけど、溜め息なのだろう。


「妖怪だなんて酷いな。神様なのに」

「なんて名前の神様?」

「あー……。ミャア」

「猫じゃん! 人語を解する化け猫――」

「ネコじゃないもん! ボクはカワウソなの。すごく賢い、カ・ワ・ウ・ソ」


 かわうそぉ?

 カワウソにしては、毛というか、体が……。


 いやいやいや、毛はどうだっていい。

 深夜に突如現れて、喋りまくる小動物なんて人の世のルールから外れてる。

 幸い、頭がはっきりしてくれば、勇気も心に湧いてきた。どうにかしないと。

 冷静に対処すべきだ。


「出てけ」

「ひどっ!」


 ここは私の部屋、私が安眠するためのテリトリーである。

 勝手に入り込んでいい場所ではないし、布団に潜り込むなど論外だろう。

 一緒に寝ようと執拗に訴えるミャアを、精々恐い顔でにらみ、ベッドから降りろと命じた。


「大体さ、寝てる女の子の横にくっつくなんて犯罪だよ」

「どうして?」

「当たり前じゃん。人間の男だったら、即逮捕ね。痴漢だもん。このエロカワウソ!」

「口悪いなあ。ボクは人間でもないし、男でもないのに」

「んん?」


 たまに濁音が混じる声からは、年齢も性別も判断しづらかった。

 自分を“ボク”と呼ぶから、てっきり男の子だと思って話していたが、どうも違うらしい。


 痴漢ではない、それはまあ、譲歩して認めよう。しかし、いくら大目に見たところで、布団を同じくするのは無理筋だ。


 ベッドとは反対側、部屋の隅まで這っていく私を、ミャアが話を中断して見守る。

 いざという時のために、最終兵器は常備していた。机の下へ手を伸ばし、掴み出した缶をミャアに掲げて見せる。


「ぎゅっ、何それ!」

「駆除する。嫌なら出ていって」

「殺虫剤に見えるんだけど。虫用だよね? カワウソに使う道具じゃないよね?」

「Gに効くなら、大抵の害虫には効くはず」

「害虫!? やめようよ。やめてって。効くかもしれないから!」


 にじり寄る私へ、必死の懇願が続く。

 殺虫剤で魔物を駆除する話を、以前読んだことがあった。

 人は決して無力ではない。超常の力に抗うため、現代人が英知を集めて作り上げた破邪の毒霧。文明をナメないでよ。


「ナメてないから。ヤバいから。尻尾撫でていいから。話し合お?」

「闇へ還りなさい、エロ猫め!」

「ぎゅあっ、いろいろ間違ってるからぁ!」


 押し問答は、一時間近く繰り返された。

 甚だ不本意ながらお互いが歩み寄り、一応の合意点に到達する。

 決着は翌朝へ。


 渋々とは言え、ミャアが部屋に留まることを許したのは、再び強い睡魔が襲ってきたからだった。

 寝れば無かったことになるかもしれない作戦、とも言う。


 ああ、神様。

 カワウソの形をしてない神様。

 全ては疲れた私が見た夢幻ゆめまぼろしですよね?

 いくらなんでも、こんなハチャメチャな出来事があってたまるもんですか。


 現実世界への復帰を願いながらも、私は謎の哺乳類に寝床を提供するハメになった。

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