第14話 入り日の岩島

 スイジニの神とウイジニの神は、島々を訪れると、熱心につちを起こしては、井戸を掘り、ため池を築いては水を引いてあわひえあさを植えて収穫した。


 島々は緑に包まれるようになり、各地から人々が集まって生活した。どの島も暖かく凌ぎやすかった。スイジニ、ウイジニが最も頼りにしていたのは、島々の早瀬を渡るワタツミ衆であった。たくさんの島と島を行き来するうちに、瀬戸の潮の流れは、ワタツミ衆の身体に浸みついていった。


スイジニ、ウイジニといつも一緒であったのは、曽良そら山津見やまつみであった。山津見やまつみは、わたつみの宮の神柱を切り出したことで、評判の若者であった。


 スイジニは山津見やまつみを頼りにしていた。新しい島に着くと、まずは船を止めるためのくい桟橋さんばしが必要だ。山から木を伐り出して、筏を運んでくる山津見やまつみにはもってこいの仕事であった。

 干潮ひきしおの時を狙い、石を放っては海に潜り、石を積み上げながら海底うみそこに柱を立てるのである。


 スイジニはウイジニと一緒にいるときは、いつも山津見やまつみ衆が海に石を放り投げる様子を見て楽しんだ。


 潮が引い時に石を積み上げてくいの足元をかためる。潮が満ちてくると、人の頭ほどの重い石を積み込みこんだ小船がやってくる。「ドボン、ドボン」と石が投げ込まれると、山津見やまつみは海に飛び込む。


 しばらくすると、海面に浮きあがってきて、石を放る場所を示す。すると。また、水主かこたちは「ドボン、ドボン」と石を放り込むのである。小舟は、石が放り出されるたびに、左右に大きく揺れて、船上の水主かこ衆は、よろよろとバランスを崩す。皆の力が一つになり、同じ方向に投げられた時は、皆の表情に満足の笑みが走る。スイジニは、そんな水主かこ衆の姿をいつも楽しく応援しているのだ。


 一本の杭柱くいはしらが打たれるまでは、なかなか気が許せない。山津見やまつみが最後の合図を出すと、くいが打ち込まれる。小舟に曳航えいこうされた丸太には、何本ものつながくくり付けられている。つなの片方には大小の石袋いしふくろが船の中に積まれている。


 二人の水主かこが丸太にまたがり、小さな石袋いしふくろつなを持って合図をすると、ドボン、ドボンとほうりこまれる。次第に丸太は浮き柱となり、あめつちの方向に立つ。


 ここまで来るとしめたものである。山津見は丸太に結いつけられたつなをもって、再びもぐる。くいの位置が確かめられ綱が引かれる。すると、両方向の小船から「ひい、ふう、みい」の掛け声と共に、いよいよ、今度は丸太にくくられた大きな石袋が投げ込まれる。


 丸太は、ゆっくりと海中に沈んでゆく。柱が真っすぐ立ち上がった時には、もはや何人の手にかかっても動くことはない。こうして二本のくいが打ち込まれると、船着き場ができる。


 後は、曽良そら山津見やまつみがいなくても、若い水主かこ衆が島に上陸し、人と木材を運ぶのである。とくに、山津見やまつみ杭打くいうちが得意であったので、杭打くいうちの山津見おまつみと言われるようになり、瀬戸の島々を巡った。


 ある時、山津見やまつみ瀬戸せと大神おおかみが住むという大御島おおみしまの近くにいた。大御島おおみしまの東には、因島いんのしま生口島いくちのしま伯方島はかたのしま大島おおしまが取り囲むように立ちはだかっている。


 山津見やまつみは、大島おおしまの手前の無人島に曽良そららを連れて上陸した。曽良そらの外には、沙鳥さとり曾真利そまり、従弟の麻繰まくりなど、いつもの若衆と一緒であった。


 山津見やまつみは、いつものように二本のくいを打ち込むと、四人を浜に置いて、ひとり島の奥の散策に向かった。


 高台の上に登ると瀬戸の海と島々が一望出来た。いつも見る光景ではあるが、入日の方向に大島、その島影の向こうには、大神の島、大御島が見えた。やがて日沈む時を迎えていたが、大御島おおみしまは瀬戸の海の行き止まりである。夕日を見つめながら、山津見やまつみはひとり思いにふけった。


 この時期、入日は大島おおしまに沈むものだと思っていた。だが、その入日は、大島おおしま伊予いよの島との非常に狭い海の間に差しかかった。まるで、水平線に沈むが如くに、大島の遥か向こうの海に沈もうとしていたのだ。


 それまでは気づかなかったが、入り日は大御島おおみしま周辺に沈むものだとの思いが強く、大御島おおみしま東瀬戸ひがしせとの行き止まりであると、ワタツミ衆の誰しもが思っていた。


 そこは、闇の世界の入り口であり、その向こうには恐ろしき闇の海が広がっていると、皆々は信じて疑わなかった。


 大御島おおみしまの遥か向こうの海に沈む真っ赤な夕日を見た山津見やまつみは、大きな衝撃を受けた。


大御島おおみしまの向こうに開けた海がある。ここは、行き止まりの海ではない。闇の海の通り道に違いない。」


 山津見やまつみは大いなるひらめきと啓示けいじを受けた。

「今すぐに、入日を追いかけよ。闇が迫る前に早瀬を渡れ。」


 山津見やまつみは急ぎ高台を降りると、待っていた仲間に叫んだ。

「すぐに船をだせ。あの入日を追うのだ。」


 すると、曽良そらが口を挟んだ。


山津見やまつみ従兄あにさんに逆らうつもりはありませんが、瀬戸せと大神おおかみの許しを得ずして、この瀬戸を渡るのは、比古次神ひこじのかみの御心に反するものでありましょう。これまで、長きにわたって瀬戸せと大神おおかみの許しが出るのを、いつかいつかと気持ちを抑え、耐えながら待って来たのではありませんか。どうか、はやる気持ちを抑えて、今夜はここでひと夜を過ごしましょう。」


 沈みかけた夕日は、まもなく水面にその影を落とそうとしていたが、山津見やまつみの叫びは、その静寂しじまを破った。


「漕ぎだせぇ。」


 曽良そらはその気迫に押されて船に乗り、曾真利そまり沙鳥さとり麻繰まくりの全員が、一気に漕ぎだした。漕ぎだすと、自然に声が出る。

「大きなかいなで、ひぃ、ふぅ、みぃ。力を合わせて、ひぃ、ふぅ、みぃ。入日を追って、ひぃ、ふぅ、みぃ。」


 山津見やまつみの勢いが皆にも移り、掛け声を揃えて船は進んだ。いよいよ、大島を右手にしたころ、入日は沈んだ。だが、西の空はまだ明るい。茜色あかねいろに染まった海面の照り返しが、山津見やまつみたちの一人一人の顔を照らした。


「皆の者よ、ここは、闇夜の入り口ではないぞ。それ、まだあの空の向こうに夕日に映える島々の影が見える。」


 乗り組みの者全員が、山津見やまつみの言葉を理解した。曽良そらはもはや言葉をなくしていた。


「うぉう、うぉう、うぉう」


 みなは、宵闇よいやみ迫る西瀬戸の海に、大きな存在の一歩を踏み込んだ。その夜は、近くの小さな岩島に上陸し、日のあがりを待った。


「ここは、入り日と上り日の境目なり。明日は、日が登る前に大島に上陸しよう。」


 山津見やまつみに恐れはなかった。曽良そら比古次神こじのかみに対して後ろめたさを持ってはいたが、一歩踏み込んだ自分の気持ちに悔いはなかった。

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