第13話 宇都志(うつし)の秘密

 天之常立神めのとこたちのかみは、久しぶりの綿津見わたつみではあったが、話しておかねばならないことがあった。


綿津見わたつみよ、話は違うが、この時を置いてまた、いつ会えるかもしれない。ひとつ、お主に相談しておきたいがある。」


 天之常立神あめのとこたちのかみが改まって、何事であろうと、綿津見わたつみは、背筋を伸ばして、畏まった。


「はて、われに直々の相談とは、・・・」


「浅間の戦いの後始末のことよ。あれは、忘れようとしても、忘れられるものではない。そう、あの時、お主の子、綿わたと十二人衆のひとりツチホシが守り抜いてくれたタマツミ屋形の事だ。」


 浅間の戦いでウノ屋形は、灰となってすべてが焼き尽くされたが、高志のタマツミ屋形は、そのまま、戦禍を免れていた。


 奴奈川ぬなかわのヌバタマ神は、ツチホシと共に、奴奈川の里にもどり、その看病のお陰で、命を取り留めることができた。

 綿わたは、タマツミ屋形に残り、高志の国の反乱を治めるための盾となったのである。


「あの後、綿わたの後任に、神津島こうづしまにいた香々背男かがせおの子、背男彦せおひことその子、香香背男比古次かがせおひこじを呼び寄せて常駐させていた。そのことは主も知っていよう。」


 綿津見わたつみは、かつてのヒカネの君を見るようにうなずいた。


「だが、各地の蛇神かかかみ奴奈川ぬなかわ勾玉まがたまを運び、しな木皮きがわ白和幣しろにぎて御幣みぬさを捧げるものがないままでは、またして、よからぬことを考えるものも出てこよう。そこで、屋形から河口までを背男彦せおひこ親子に任せ、玉津見たまつみの仕事を引き継がせた。今では息子の香香背男比古次かがせおひこじが北の海を航海こうかいし、能登のとさと、かごのさと出雲いづもさと隠岐おきさとを巡って活躍している。」


「そのことは、われも聞き及んでおります。」


「だが、綿津見わたつみよ、よく聞け。あのゆる石、ゆる水のことだけは、わが一族が命をかけて封印ふういんしなければならない。わが宇都志族うつしぞく秘密ひみつとして守らねばならない。」


 綿津見わたつみの脳裏には、あのウノとの戦いの忌まわしき日々の記憶がよみがえった。燃ゆる石と燃ゆる水の攻撃によって、幾人の人々が命を失ったであろうか。


「あの戦いは、遠い先祖のいさかいが元とはいえ、のちのちに、あめつちを脅かす恐ろしき影を投げかけた。秘かに先祖の御霊を祀るのが、われの務めである。」


「われも、思い出したくない影を背負って生きております。ヒカネの君とは、一心同体いっしんどうたいに御座います。なんなりと、仰せ下いますように。」


「実はな、あのオオホヒの神壺だ。」


「えっ。」


 綿津見わたつみは、飛び上がるほどに驚いた。まさか、あの「オオホヒの神壺」のことが天之常立神の口から出ようとは、思いも寄らなかったのである。


 綿津見わたつみはあの戦いの劫火ごうかの中で、クロオシも火裂比古ひさくひこも、千年の生きざまを保ち続けたヒサグジも、そしてあの「オオホヒの神壺かみつぼ」も、全ては燃え尽きて消えたものと思っていた。


「だがな、お前たちが瀬戸の海に向かって、しばらくしての頃、ウノの里の焼け跡から「オオホヒの神壺かみつぼ」が何一つ欠けることなく元の姿にて発見されたのだ。」


「えぇっ。」


 綿津見わたつみは、「オオホヒの神壺かみつぼ」の言葉を聞いただけでも、全身が震えたのに、それが、元のまま発見されたと聞いて、言葉が詰まった。


「まあ、落ち着いて、話を聞いてくれ。われは、すぐに、諏訪のカカ神トメのもとに神壺かみつぼを運び、大蛇神おおかかかみ十頭之遠呂智とかしらのおろちうやうやしく捧げ、改めて命を亡くしたもの達の御魂を鎮めて祈った。」


 天之常立神あめのとこたちのかみの落ち着いた話しように、綿津見わたつみは、なんとか気分を鎮めることができた。

 

「安心せよ。大蛇神おかかかみの前に青沼あおぬま蛇神かかかみアユの子アヘが、「おきて」を守り繋いでくれることになったのだ。今では何事もなく、朝な夕なの祈りに心を込めて奉られている。」


 綿津見の表情から、険しさが亡くなった。


「いや、きもが潰れるほどに、驚きましたぞ。」


「だが、忘れてはならないことは、先の浅間の蛇神かかかみカカナ神の命宣みことのりを守ることである。」


「クロオシと「オオホヒの神壺」は、青沼あおぬまさとに戻してまつれ。ヒサグジの御霊みたまは、宇都志うつし同族どうぞくとして宇都志母子うつしははこの誓いと共にまつれ。たかみむすびの神と共に祀るべし」


「次の世に、この「火の掟」を封印すべきは、宇都志の世継ぎの務めである。」


 天之常立神あめのとこたちのかみは、目を閉じてカカナ神の言葉を心に描いた。目を開けると、綿津見の姿が見えたが、ただ、じっと、その魂を見詰めた。


「わが長男の雲野之比古次くもののひこじはすでに西の国に出向いておる。汝はこれを支えて、入り日の国をひらけ。次男、櫛彦くしひこは兄、比古次ひこじを助け、共に瀬戸の海を開く定めである。従って、高天原において、あめつちの宮を守る世継ぎは、末の息子である火高彦ほだかひこである。」


 今、初めて、天之常立神あめのとこたちのかみは、世継ぎの事を口にした。綿津見わたつみとその周りにいた皆々は、ひれ伏して、畏まった。


「世継ぎ、火高彦ほだかひこさまに、お喜び申し上げます。」


と、綿津見わたつみが申し上げると、皆々も続いて、世継ぎの誕生を

祝った。


「世継ぎの火高彦ほだかひこ様、おめでとうございます。」

火高彦ほだかひこ様にお祝い申し上げます。」

火高彦ほたがひこ様。」


 再び、天之常立神あめのとこたちのかみは、綿津見わたつみに向かって、言葉を懸けた。


「そこで、綿津見わたつみにお願いである。火高彦ほだかひこを助け、あの「オオホヒの神壺かみつぼ」を封印すべく、ワタツミの者を選んではくれまいか。火高彦ほだかひこを支えるには、ワタツミの力が必要である。」


「ありがたきかな。高天原かまがはらきずき、高天原かまがはら受継うけついで守るは、宇都志うつし宇麻志うまし、あめつちの血筋にございます。」


「われらワタツミは、宇都志うつし族を支える血筋の者として命惜のちおしむものはなし。宇都志うつしと同じ「あめつち」を目指すものであります。」


天之常立神あめのとこたちのかみがヒトツメの君と呼ばれしころ、タマツミ屋形を守ったのは、わが長男の綿わたにございました。綿わたには五人の子がいますが、年長の曽良そらと三番目の曾真利そまりと次の沙鳥とりは、瀬戸の海でわれと共にあります。」


天之常立神は、うなずきながら聞いていたが、つい、口を挟んだ。


「あとの二人は、娘と息子であったな。」


「ありがたきかな。娘のヨシ姫は、青沼あおぬまさとにて蛇神かかかみアヘに仕えております。末の息子伊留可いるかは、まだ若輩なれど、背男彦せおひこのもとで香香背男比古次かがせおひこじと共に、航海の技を鍛えられております。」


「おお、そうであったか。ヨシ姫は青沼あおぬまのアヘの元とな。末の息子は、伊留可いるかと申すか。大きくなったものじゃな。もう、海に出ておるのか。」


若輩じゃくはいなれど、高志こしうみが気に入ったのでありましょう。かつての日高ひだかくににも行き来しており、隠岐おきしま黒曜石こくようせきの手伝いにも加わっております。われに似ておりまして、その名の通り海の潮風しおかぜが肌に似合っているようであります。この伊留可いるかなれば、必ずや火高彦ほだかひこきみを心よりお支えすることが出来るでありましょう。」


「あい分かった。綿津見わたつみには、改めて礼を言うぞ。雲野之比古次くもののひこじ櫛彦くしひこ火高彦ほだかひこには、それぞれにワタツミの力が必要じゃ。」


 綿津見わたつみは、孫娘ヨシ姫を青沼あおぬま蛇神かかかみアヘに仕えさせいたことを喜び、あめつちの巡り合わせであると手を合わせた。


 帰りの道は、再び、麻績おみさとから熊野くまのの海に出て、紀伊水道を通過し、淡路の狭別島に戻った。途中、鯨の群れ、 イルカの群れに幾度となく出会い、まるで、海の軍団に守られての帰還であった。

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