(2)ふたり神の誕生

第11話 すいじにの神、ういじにの神

 次の年、阿波姫あわひめは、秋の収穫の祭を終えると、鳴戸の早瀬を渡り、淡路あわじみやを訪れた。雲野之比古次神くもののひこじのかみに会うと、涙を流して喜び、こみ上げる嗚咽で言葉にならなかった。


比古次神ひこじのかみには、何とお礼を申し上げたらよいのか、今は、喜びの心で一杯でございます。神々がこの阿波あわさとにお越しにならなければ、わが里は、とうの昔にさととなっていたでありましょう。」


 阿波姫あわひめは、こみ上げる嗚咽の涙をこらえ乍ら、今ある幸せを切々と、申し上げた。


「以前の阿波あわさとと言えば、海は荒れ、潮が狂い、島々の行き来も叶わなくなっておりました。多くの島々は、救いの神も見ないまま、死の島となりました。」


 阿波姫あわひめは、墓標ぼひょうしまとなった、一つ、ひとつの島のことを思い出した。海風が阿波姫あわひめを包み込むように舞うと、内腑ないふが騒ぎ、いたたまれない、気持ちに襲われた。


「わが里に、宇迦うかが実り、やまいが消え、このように喜びと笑い声が聞こえる日が来ようとは思いもよらないことでありました。かくなる上は阿波の里を挙げて、海で亡くなり病に倒れた多くの命を弔い、瀬戸の海に新しき息を吹き込もうと思います。瀬戸に漂う死の島々が、再び、息を吹き返し蘇えることを、比古次神ひこじのかみにお約束致しましょう。」


 阿波姫あわひめは、初めて心を開き、まことの心根を語った。比古次神ひこじのかみは、大いに喜んだ。


「それはよかった。だが、そんなに急がなくてもよい。瀬戸の海は広い。一つ一つ、島を拓いて行けば良いのだ。どうだろう、阿波あわさとは、阿波姫あわひめくにであるが、葦香あしかと「ちぎりのむすび」を交わし、共に二人で瀬戸の島々を拓いてみるのも良いではないか。」


 阿波姫あわひめは、顔に恥じらいの色を見せたが、返事はしなかった。


 比古次神ひこじのかみは、これまでに浅間あさまさと諏訪すわさと麻績おみさと熊野くまのさとと多くの里を訪ねたが、いずれの里もつち族であり、姫神ひめかみ母神ははかみが土地のぬしであった。


 あめ族とつち族では考え方もしきたりもまったく異なるのである。ましてや、ここは瀬戸の海である。彦神が簡単に受け入れられるはずがない。


 つち族は月に一度、新月の火祭りに男女の交わりのうたげが行われるが、祭りの司祭は姫神ひめかみである。しかも、出産と子育ては命の元であり、命を守るのは、母神の仕事である。


 年頃の姫が身ごもれば、姫神は出産の段取りを行い、里の女衆は、子供から年寄りまで、みなが協力して準備をする。なにしろ、母子共々が元気でいられるのは、まれなことである。子が産まれると、その子は姫神の子として、皆で育てるのが仕来たりである。


 さといのちを守るのは姫神ひめかみであり、その世継ぎもまた姫神ひめかみである。阿波姫あわひめは、比古次神ひこじのかみの言葉を理解できるはずもなかった。


 だが、比古次神ひこじのかみは、阿波姫あわひめを諭すように言った。


阿波姫あわひめよ、姫神ひめかみは、子を生み育て、母子の命を支えてこそ、あめつちの定めを守り、里の掟を守ることができる。」


 比古次神ひこじのかみは、阿波姫あわひめの顔を覗き込んで、力を込めた。


「だが、思ってもみよ、つい先ごろまでは、一族の亡びる姿しか考えられない阿波あわさとであったろう。姫衆ひめしゅうだけでは、船を漕いで島にあがり、つちを耕して、種を植えることはできまい。子が生まれても男の子なればハバキとなる。男ハバキをまとめ、島々を巡り、一つ一つの島に命を吹き込む男衆が必要だとは思わないか。」


 比古次神ひこじのかみは、丁寧に阿波姫あわひめの心を揺すった。


「われら、宇都志うつしの彦神は、自ら子を産み、子を育てることは出来ないが、あめめぐりを心に映して、明日の月の位置、潮の満ち干、一年の太陽の位置、春夏秋冬の季節の移り変わりを占うことが出来る。」


 比古次神ひこじのかみは、命を守るためには、あめつちの神々の力が必要であると問いかけている。

 

阿波姫あわひめよ、そちが申した新しい瀬戸の海を蘇えらせるには、そち一代の世で叶うものではなかろう。そちの子が子を産み、またその子が子を生んで、幾代いくよもの時を懸けてこそ願いは叶うもの。そちの志にそった男衆が必要であるとは思わないか。」


 阿波姫は、幾代にもわたる姫神の血筋である。彦神を迎えると言われても、どのように迎えればよいのか不安であった。


「毎日、海、山に出て、宇迦を取るのも男ハバキの仕事ではあるが、土を耕し、種を植えて収穫するには、「あめつち」にかなわねばならない。死の海と言われるこの瀬戸の早瀬の海を行き来するにも、「あめつちの定め」を知ることが必要である。」


「それぞれの働きを認めよと仰せですか。だが、命に勝るものがこの世にありましょうか。」


「その通り、命あっての現世うつしよである。だがな、その命は、あめつちの中で育まれておるではないか。姫神つち族と彦神あめ族とが、血筋のつながりはなくとも、互いに心の約束で結ばれ、共に「あめつち」を守り叶えてこそ、瀬戸の海はよみがえるというものだ。葦香あしかは、宇麻志のつち族であるが、あめつちの定めに通じ、あめつちに生きる魂を受け入れることが出来ようぞ。」


 阿波姫あわひめは、比古次神ひこじのかみの言葉を心で受け止めると、素直な気持ちになれた。


比古次神ひこじのかみ命宣みことのり、ありがたくお受け致します。世に彦の神ありといえども、それは、男衆の世界のこととばかりに思っておりましたが、比古次神ひこじのかみの言われるままにございます。」


 阿波姫は、葦香あしかきみとなら、上手くやって行けそうだと思っていた。


「あめつちの定めに従いましょう。われ、瀬戸の早瀬を渡り、島々に宇迦うかの種を植え、人々の住める島、喜びのある島を取り戻すことを誓いました。葦香あしかきみは、ありがたき神。みめうるわしく、男衆にも慕われて、決断の力、事を成し遂げる力は、他に比べようもありません。この度、淡路あわじの宮を訪れましたのは、葦香あしかきみの働きを、改めて、比古次神にお伝えし、お礼を申し上げるためでありました。葦香の君となら、共に心を携えて志に向かうことが出来ましょう。比古次神ひこじのかみの仰せのまま、あめつちに誓います。」


 こうして、二人は、比古次の神の前で、互いに結びの誓いをたてて、最初のふたり神となった。


「なんじら二柱の神、この新しき「わたつみの淡路の宮」にて、初めてふたり神としての契りの誓いを行った。あめのみなかぬしの神、たかみむすびの神、かみむすびの神の御前にて、末永く、その名を讃えられるであろう。これより、阿波姫あわひめはスイジニ、葦香あしかはウイジニを名のり、共に土の神、水の神として働き、瀬戸の島々をつちみず宇迦うかの栄える島となせ。死の海、死の島を蘇らせ、命栄いのちさかえる島となせ。」

 

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