第10話 わたつみの淡路の宮

 比古次神ひこじのかみ阿波あわに出立されると、綿津見わたつみは、すぐに行動に移していた。一族を連れて、淡路の島の東の岬から紀伊水道を渡り、沖の島、地の島を通って紀伊の国に入り、山道を進んで、宮柱となる神木を探していた。


 綿津見わたつみは、齢七十に近くなったが、まだまだ足腰は、十分に若い者には負けていなかった。

 孫の曽良は櫛彦と共に、阿波の里にいたので、綿津見わたつみは、息子の綿わたと弟都見比古つみひこの子、山津見やまつみを連れて、紀の川沿いの山道を駆けた。


 山津見やまつみは、綿津見わたつみ一族ではあるが、航海よりも木材を切り出して運搬するのが得意な血筋である。さすがに、走りながら木材の吟味とその運び出しの道筋を頭に浮かべていた。


 山津見やまつみは、曽良とは従弟同士、年も近く、ワタツミの若衆の中ではよき競争相手である。櫛彦くしひこ伴人ともびととなった曽良そらには負けられないと、山歩きには気合が入っていた。紀の川沿いに山を登り、山々の尾根に出た。


 先頭には麻績おみの息子、麻績比古おみひこがいたのであるが、突然、足を止めてあたりを見回した。


綿津見わたつみかしらに申し上げます。」


と言いながら息を切らして、見通しの良い場所に出た。

「なんとここは、熊野くまの尾根筋おねすじに通じております。熊野くまの尾根おねの向こうは、もう麻績おみさとでありますぞ。われは、何度もこの尾根道を駆けたことがあります。」


 麻績比古おみひこは、「なぜにこちらの世界を知らなかったのか。」と驚いたが、麻績比古おみひこの言葉に、綿津見わたつみを始め綿わた山津見やまつみも淡路の島と麻績おみさとがこのように近い場所であることを初めて知った。


 いつも、太陽の昇る日向ひむかいの海にばかり心を惹かれ、入り日の熊野は、冥界めいかいそこに通じる世界でしかなかった。それ程までに熊野の山々は、奥深く、その向こうには暗闇くらやみうみに漂うくにそこくにがあると信じられていたのである。


 綿津見わたつみは、何年ぶりであろうか、熊野の尾根を伝って、生まれ故郷である麻績おみさとに入った。


 かつて里の主神ぬしかみであったオババは、すでに身罷みまかって居なかったが、姫神の麻紗まさが世継ぎとなって里を治めていた。


 阿積之麻績あつみのおみは、高天原かまがはらに行ったまま、ヒカネの神に仕えている。石津見いしつみと一緒に、淡海あわうみの大工事にかかりきりで、もう何年も帰ってはいないが、健在だという。


 取り急ぎ、麻紗まさ神に頼んで、ハバキ衆を集め、十隻の航海船を調達した。あさかじこうぞなどのひもなわつなとその元となるたねあわひえたね、船大工、石鉋いしかんな石斧いしおの、船木材など多くのものを船に積み込むと、船大工もつれて、帰りは海路で淡路の島に戻った。


 綿津見わたつみは新しい山道と海の道を発見したことで、心は弾んだ。淡路の島に戻ると、休む暇もなく勢いに乗って、アツミ衆を率い、紀の川の河口に集合した。皆々には、幾つかの川を上らせ、宮柱みやはしらの切り出しを指示した。


 さらに山津見やまつみには、あめつちの宮に相応しい神柱を五十本、探し出すように命じた。山津見やまつみは、行き道で頭に入っていた柱木はしらきを次々に選び、アツミ衆を集めては、河口に運び出した。


 山から集められた宮柱は、筏に組まれて紀の川を下り、淡路の島に運ばれた。綿津見わたつみは、早速、比古次神ひこじのかみ命宣みことのりを実現するため宮の建設を始めた。


 島を巡りて、東西南北の四つの位置を定めた。まずは、極星きわぼちに向かいて、北の柱の場所を固めた。あめ族に取って最も神聖な星である。その反対側は、夏至の太陽が最も近くに迫る南中の場所である。


 極星きわぼちに向かいて、右手が太陽の昇るあがり、左手が太陽が沈む西いりである。この四か所に、あめつちをつなぐ、高くて大きなはしら神柱かむはしらとして立てた。柱は、地中深く埋め、天高くそびえ立てて、あめつちのしるしとして知らしめた。


 一通りの仕事が落ち着き、宮の形が現われてくると、綿津見わたつみは、鳴戸の早瀬を渡って、阿波あわさとにいる比古次神こじのかみを訪れた。


 淡路あわじみや落成らくせいしたということもあり、阿波あわさとでは、比古次神ひこじのかみほか櫛彦くしひこきみ宇都姫うつひめ葦香あしかきみ阿波姫あわひめが勢ぞろいして、綿津見わたつみの報告に聞き入った。


比古次神ひこじのかみに申し上げます。命宣みことのりに従い、淡路あわじはま宮柱みやはしらを太しく奉りて、あめつちの宮を築きました。雲野之比古次神くもののひこじのかみには、そろそろ淡路あわじの宮を訪れて頂き、比古次神ひこじのかみたましいを入れて頂くようにお願い申し上げます。」


「おお、綿津見わたつみよ、いよいよ宮の落成を迎えたか。良くやってくれたな。ありがたきかな、わが心の喜びをどのように伝えればよかろう。そうだ、そちが築いてくれたあめつちの宮じゃ。これより「わたつみの淡路の宮」と呼ぶことにしよう。瀬戸の海には、大きな希望が満ちている。あせらずに、つちかみうみかみとよろしく交わりて、共に生きる道を探したいものだ。」


 綿津見わたつみは、あめつちの宮にわが名を戴き、万感の思いに浸って、比古次神ひこじのかみ命宣みことのりを聞いた。


阿波あわさとは、櫛彦くしひこ宇都姫うつひめ葦香あしかが汗を流し阿波姫あわひめを助け、を張ってくれている。阿波姫あわひめも力を合わせて、新しきいのちの里を開きつつある。それに、阿波姫あわひめ葦香あしかを頼りにしているようじゃ。櫛彦くしひこ宇都姫うつひめよ、ここは葦香あしか阿波姫あわひめを支えてはくれまいか。いよいよ新しき宮も出来たようだから、そろそろ、われは淡路に戻り、「わたつみの淡路の宮」に入ることにしようと思うが、どうだろう。」


といって、比古次の神は、阿波の里を後にした。


 残された櫛彦くしひこは、葦香あしか宇都姫うつひめと力を合わせて、つちを耕し大地に命を吹き込み、たねを植えた。


 その働きに阿波姫あわひめは、大層に喜び、皆々を励まして働いた。秋になると、あわひえが実り、あさを刈り取って、つちかみに奉納した。


 阿波姫あわひめは、阿波あわ姫神ひめかみであり、先祖から続く「つちの神」なれど、いつしかその根は切れ切れに、命の根は細々となっていた。大地がよみがえり、阿波あわの里に元気な子供たちの声が響くようになると、阿波姫あわひめは、葦香あしか櫛彦くしひこ宇都姫うつひめの振る舞いにまことの心を開くようになっていった。

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