第9話 光なす、あわひめの里

 鳴門の久治良くじらは、大御島おみしまに向かい、ことの次第を瀬戸せと大神おかみに報告し、使者ししゃを出して頂くように願い出た。

 そこは、海の底、かつて、櫛彦くしひこたちが獲物として捧げられた磐座いわくらの場所であった。


「申し上げます。大神おおかみ命宣みことのり通り、わが胸ヒレを持ちて訪れしは、日高見ひたかみの国、高天原かまがはらの子、宇都志櫛彦うつしのくしひこきみでありました。」


 久治良くじらは、意気揚々として大神に訴えた。


櫛彦くしひこきみ宇都志雲野之比古次神うつしくもののひこじのかみと共に約束を果たし、ちかいいの丘にてやうやしき祈りを捧げてくれました。」


 久治良くじらは、大神の居場所を探したが、磐座にあるはずの姿は見えない。しかたなく、そのまま、報告を続けた。


阿波姫あわひめやまいえ、われも丘の上でふたつの足を取り戻すことが出来ました。真にありがたきことであります。この上は、宇都志雲野之比古次神うつしくもののひこじのかみ櫛彦くしひこきみ大神おおかみの前にお連れすべき時でありましょう。是非ともわれに使者を賜りますようにお願いいたします。」


 しかし、大神の返事はない。何度も何度も申し上げ、辺りを見まわしたが、姿なく返事はない。やむ得ず、久治良くじらは、阿波姫あわひめさとにもどり、櫛彦しひこに詫びた。


櫛彦くしひこきみに申し上げます。われ、瀬戸の大神に幾度となく申し上げましたが、返事がありません。大神には、何か理由わけがあるのでしょう。われ、櫛彦くしひこきみとの約束なれば、引き合わせの件はあきらめずに大神と交渉を続けます。雲野之比古次神くもののひこじのかみには、お疑いなきよう、くれぐれも悪しき心なきことお伝えください。」


「ご安心ください。われ、比古次神ひこじのかみに申し上げるも、神、一抹いちまつくもり心なし。「しばし、この地をお借りして、宇都姫うつひめ葦香あしか姉弟あねおとうとが持つ宇迦之御魂うかのみたまによりて、つちたがやし、くりひえあさを植えて宇迦の里を築いてはいかがか」との仰せにございます。鳴戸なるとかみ阿波姫あわひめにお許し有れば、明日からでも始めたいのでございます。」


「では、早速、阿波姫あわひめの意向を伺って参りましょう。」

と言って久治良くじら阿波姫あわひめのもとに行ったが、すぐに阿波姫あわひめと共に戻ってきた。


櫛彦くしひこきみには、数々のご苦労を賜り、礼の尽くしようもございません。また、雲野之比古次神もののひこじのかみとその一同の皆様方にも、どのようにお礼をなせばよいのか、心の尽くしようもありません。」


 阿波姫あわひめは、櫛彦くしひこの前に出ると恭しく頭を垂れた。


「もとはと言えば、宇迦うかの恵み乏しく、ひめ多く、彦僕ひこしもべ少なしの地であります。彦僕ひこしもべは、海に出て漁に励むが、この地の海は早瀬多く、渦潮も大きい。命を落す彦僕ひこしもべ後を絶たず、生き残る者少なし。子、生まれても姫、乳も出ず。流行病はやりやまい襲いてよりは、なす術もなし。われも病に犯され、阿波一族あわいちぞくの行く末、途絶えるの夢もみたのでございます。」


 元気を取り戻したとはいえ、病み上がりの阿波姫である。そのやせ細った身体から、切々と語られる姫と共に、阿波の皆々のすすり泣く声は絶えず。


「前に櫛彦くしひこきみ葦香あしかきみ鳴門なるとおかにお見えになった時、われら失われた子供たちの命をあの丘に葬れども、幼きたましい行くところを知らず。葦香あしかきみを頼りて行く道を求めたのでございます。」


子を失った母神達のうめく声が、風となって、高台の丘を駆け抜けた。


「いま、また約束を守りて、この地を訪れ給いたお二人によって、新しき阿波の道は救われました。われ病も癒え、阿波一族あわいちぞくの行く末に光が指して参りました。雲野之比古次神くもののひこじのかみの言葉に従いて、この阿波の里を切り開き、宇迦うかさととなすこと、お願い申し上げます。」


阿波姫は、櫛彦たちの前で、膝まづき、大地に額づいて願った。


 櫛彦くしひこの君と共に、

 つちを耕し、宇迦うかを育てましょう。

 宇迦之御魂うかのみたま姉弟あねおとに従いて、

 つちから芽生える宇迦うかを育てましょう。

 あわひえあさの種を植え、

 われらが土地の宇迦うかを育てましょう。

 さすれば、瀬戸の大神の御心も少しは、分かって下さるでしょう。


 比古次神ひこじのかみは、しばらくこの地に腰をすえることにした。だが、淡路あわじの島のことが気にはなっていた。出立する前に、島に残した綿津見わたつみには、淡路の宮つくりを急ぐように命じていたからである。


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